【ハヌーチ驚異の世界最高新記録、2時間5分38秒

4月14日、世界最強選手が勢ぞろいしたロンドン・マラソンは、気温8〜13度、ほぼ無風状態の絶好の天候に恵まれた。男子は「ゲブレセラシエ効果」積極策が絶妙な拍車をかけ、ハリッド・ハヌーチ(アメリカ)が2時間5分38秒の世界最高新記録で復活、2位はポール・タガート(ケニヤ)、2時間5分48秒、3位、ハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア)、2時間6分35秒、昨年の優勝者アブデルカデール・ムアジズ(モロッコ)は20kmで転倒したにもかかわらず2時間6分52秒で4位、マラソンハイスピード時代の先端レースだった。

一方、女子は、地元のヒロインポーラ・ラドクリフが15kmで飛び出し、昨年の優勝者ツル、土佐、ロシア勢らを完全に無視して独走。後半も1km3分13秒前後のハイスピードは衰えず初マラソンを歴代2位、2時間18分56秒でブッチ切りの優勝を飾り、総合60万ドル(推定)以上を獲得。マラソン転向大成功、日本の新たな強敵の誕生した日だった。土佐は2時間22分46秒の自己新記録で4位。

ハヌーチ世界最高記録"夢の競演"を制す 3年ぶりでハリッド・ハヌーチが自己の持つ世界最高記録を4秒短縮して優勝、高らかに復活宣言した。ハイレ・ゲブレセラシエは長距離史上最強選手だが、マラソン新参者だ。しかし、記者会見で発表したハイレの設定した10kmを29分30秒、ハーフを62分30秒のハイペースは、世界最強ランナーの常識を根本から変え恐れられた。

一様に「あのペースでは潰れる」とハイレの無謀さを指摘した。ところが諸々の懸念されたことも、主催者の積極策、史上最強集団の戦い、天候が幸いして、ハヌーチの予言どおり世界最高記録が誕生した。 わたしのアイドル、ハイレ、ポールに勝った「夢の実現」 「もし天候さえよければ、これだけの選手が一堂に集まるのですから、世界最高記録が生まれる可能性は十分あった。

とにかくタフなレースだったが、神のお加護で最後に競り勝つ力が残っていた。今日の勝利は、本当に『夢が実現』しました。ここ2年半ほど足首の故障、不運が続き最悪の状態でした。特に、昨年のエドモントン世界選手権で途中棄権(レースの翌日、スタジアムでハリッドとサンドラにばったり再会した。ハリッドの足先は靴擦れで真っ赤。シューズが履けずサンダル履きが痛々しかった)、すっかり走る意欲を失ってしまった。応援してくれる人たちの期待を裏切って失望させたことが辛かった。

しかし、ぼくができることはもう一度自分自身の証のために、世界最強選手が一堂に集結するロンドンで優勝を目指したのです。それがぼくの自信回復、プレイドを起こさせる動機になると思ったからです」 「冬の練習から、過去最もきつい練習を4ヶ月消化してきました。いつものようにニューメキシコのアルバーカーキー、メキシコ、カリフォルニア、NYで練習してきました。マンネリ化を避けると同時に、案外アルバカーキーは冬は寒く天候が悪いので、気分転換にもなるので気候の良い練習場所、メキシコ市郊外のトルーカ市に飛びました。

あそこに住むヘルマン・シルヴァ(バルセロナ五輪10000m6位、94、95年NYマラソン優勝者)の世話になりました。これが非常に良かったんです。ヘルマンの合宿所に滞在、かれの高地練習アドヴァイスで2000〜2400m以上のコースで十分に4週間走り込み最後の調整をいつものようにNYです」 元マラソン選手、ハヌーチのコーチ、エージェントも努める奥さんのサンドラは「われわれは今回の優勝はヘルマンのサポートに寄るところが多い。

ハリッドの問題は、適当に休養を取ることができない性格。練習、練習また練習するタイプです。ですからオーヴァーワークにならないように管理すること大切です。3月に京都ハーフマラソンに招待され、移動などで練習ができなかったのが適度な休養になりました。京都ではそんなタフなレースではないので楽に優勝、適当なリフレッシュもできたようです。これが非常に良かった。

やっと長い不運から脱出した」と大喜びだった。今年3月にわたしの友人でもあるヘルマン・シルヴァがささやかな引退パーテーを、トルーカにある『アシエンタ』(荘園)にある豪邸で祝った。電話してハリッドの練習振りを聞くと、 「ウチの若い選手は練習をどうしたらサボり強くなって金を儲けようと夢ばかり見ているが、ハリッドは全く逆。あんな練習を好きな選手も見たことはない。ロンドンで勝ってもおかしくないが、ハイレ、ポールもぼくのいい友人だから皆を応援した。ぼくとしては3人が優勝して欲しかったが・・・、とにかく凄いレースだったね」と、ハリッドのトルーカの猛練習振りを説明してくれた。

ハリドは続けて語る。「93、95、97年世界選手権でハイレが10000mで優勝したレース、ポールが世界クロカンで優勝するシーンなど今でもかれらの勇姿を鮮明に覚えています。93年、ぼくがNYのブルックリンのレストランで皿洗いなどしている時、未だNYの生活が非常に不安定な時期、この二人の活躍はぼくのアイドル、ヒーローだった。ぼくはかれら活躍を見て、「いつかはぼくも!!」自分の姿をダブらせていたんです。そのアイドル二人と一緒に並んで走っているなんて・・・・!

「ぼくを史上最も偉大なランナーとは呼んで欲しくはない。ぼくよりハイレ、ポールらの世界的な大会で数々のタイトルを獲得した名選手です。かれらこそ最も偉大な選手です。かれらからインスピレーションを与えられ、少しでも追いつく努力をしてきたので、今日のぼくがあると思います。やがてぼくも最も偉大な選手の一人と呼ばれるようになりたいと思います」

ぼくはハーフを63分30秒が理想的なペースだと思ったんですが、ハイレの10kmを29分30秒、ハーフを32分30秒のハイペース設定は、ちょっと速すぎるので自分のペースを守って走る予定だった。ところが、10kmをハイペースで通過しが、リラックスして案外楽に走れていた。周りを見るとライヴァル全員が一緒になって走っているし、勝つためにはこのペースで一緒について行かなければ勝てるチャンスはないと思い予定を変えて付いて行くことにしたんです。その時、チラッと一緒に走っているハイレ、ポールらの「大物選手」を見て、もしかれらに勝てたら、長年の夢が実現して最高の幸せだと、一瞬思っていながら走っていましたね。最後まで勝負はわからなかったが、ぼくの経験とメンタルのタフネスの差が出たのではないだろうか。

特に35kmから最後の数kmの走りは、ぼくのほうがレース経験があるし、あそこで勝負をかけるのが非常に重要なことです。これでやっとわたしを支えてくれた兄弟、友人、世話になったヘルマンらに、良い結果を報告できる」 ハイレ効果は偉大だった。ハヌーチ、タガート、エルムアジズ、ピント、ジファー、トラ、バルデイニらの、いずれの選手もハイレ出場がハイペースレース予感を生んでいる。トップ選手全員が口々に、過去最高の練習量を高地で消化してきたことを告白している。

これだけの選手を集めた主催者側の努力、完璧にマラソン適した天候、ハイペース設定、それに応えられるだけの選手の準備、意欲が、心理的な絡みが最高の積極性を促進できたからだろう。

小出監督はこのレースをこう分析する。「ゲブレならもっと早いペースでハーフを通過できるはず。そうすれば、スムースに後半スピードが乗る。また、カーブが38箇所(主催者は前半13、後半16、合計29箇所と発表)あるので、少なくとも1分はロスするし、石畳の道路なんかもあるのでこのコースは難しいね。ゲブレならベルリン、シカゴのコースで天候に恵まれたら2時間2分ぐらいで行っちゃうでしょう(アッハッハ)日本女子選手は高地練習を重点的に取り入れて10年。ちょっと数週間行った程度じゃあ駄目なんですよ。ゲブレ、ケニヤの選手なんか、2400mで生活してもっと高いところで練習するんですから、男子の指導者が本腰を入れて取り組まなければ、このハイスピード時代にとても追いつけませんよ。それにしても凄いレースだったね」
2002.4.24.return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index