高橋尚子(30才、積水化学)は、常勝を課せられた重責をものともせず、25kmから完璧な独走で6連勝を果たした。1年ぶりのレース、3ヶ月の短期間調整、2度の故障、掴めない体調への不安、35km過ぎてから右足裏の血マメなどの、数々の不安材料、アクシデントを越えて、慎重かつ大胆に25kmからスパート、世界歴代13位の記録で独走。底力をまざまざ見せつけて健在振りを発揮した。
「皆さんが期待してくれるのはありがたいことですが、今年は私自身が誰かに聞きたいぐらい今回は自分の体調が不安でした。わたしは6月半ばにボルダ―で練習を始めましたが、監督が直接練習に参加したのは7月15日からです。ですから昨年、ほぼ完璧な練習を消化して、20分の壁を破る高いモチベーション計画で調子を整えてきたとは大きく違います。練習期間が短いいので、どれだけ走れきれるかが最大の不安でした。今回2度の故障が出たのも、多分、9kgオーヴァ―していた体重を急激に落とした無理からきたのではないかと思います。8月半ばに右くるぶしが腫れ、9月の始めに練習のダウンで軽いジョッグのとき右ふくらはぎが吊ってきたため、大事を取って練習は合計約10日間中断しました。そしたら疲労が適度に抜けたと思いますね。その後、かなりいい練習ができてました。一時は調子がなかなか上がらず、出場中止を考えてこともありましたが、監督と相談して、なんとかここまで調整してきました。自分の調子、予想タイムは全く読めませんでしたが、この条件でガードランナー、ペースメーカーは断り自分でレースを組み立て、一体どこまで走れるかとても貴重な経験ができました。自分の中では、まだまだ上を目指せる手ごたえを感じたのは大変に嬉しいことです」 |
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小出監督はレース前夜、午後9時から起きたまま睡眠時間は2時間だったと言う。「こっちは心配で寝れなかった。短期間の仕上げで、いろんな不安材料が揃った状況で体調は7、8割のできだった。あれだけの練習期間であの記録で完走したQチャンは凄いね!
昨年の調子で今日のような気象状況なら、17分で行っちゃったね。35kmで血豆が潰れてきた。それでもがんばっちゃうんだよ。こんなことは今までに経験したことがなかったが、これも練習不足、走る距離が少ないので足裏の皮も薄くなるんですね。
昨年と同じコースで試走すると、1kmで約10秒遅いし、10kmで1分も遅れてしまう。本人も不安で不安でしょうがない状況だった。筋肉も落ちているし、ストライドが伸びない。しかし、ドイツにきて少しずつ毎日良くなってくるのがわかった。監督の仕事としては、今日のレースに最高のコンディションを作ればよい。記録が出ないのは監督の所為だとわれわれは言っていますよ。ホテルの中でQちゃんの歩き方が、夕ベから今朝にかけて歩き方が違う。調子が倍ぐらい上がってきた。スタート時の9時に少しコンディションを合わせなくとも良い。体が重く感じてもいい。スタート30分後に調子が良くなればいいんだよ。メキシコのフェルナンデイスの練習をちょっと見たんだが、あの走りを見て25km以上は持たないと読めたね!簡単なジョッグで終えていたようだが、バネがありすぎるんだ。バネを使って走ると長くは持たない!そのことをQチャンに伝えて、無理せず、前半ゆっくり入る指示を出しておいたし、そのまま25kmぐらい行けばフェルナンデスは潰れるとわかっていた。だからQちゃんに5kmごとにスピードを抑えろ!抑えろ!と繰り返し手指示を出した。それでないとあの子はグングン行っちゃうからね。抑えるに苦労する。結果的にぼくの読みがピシャリと的中したね」
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高橋は淡々とレースを分析する。「今回体調の不安がありましたので、スタートしてから身体に聞きながら自重して走り、世界記録などあまり考えることはなく、ただ無事にゴールに辿り着くことだけを考えていました。スパートしたというほどのこともなく、25kmあたりで身体が動き出したので前に行こうと思ったからです。ペースはもちろん計時車のタイムを見て、昨年と比較すると少し遅いかなあーとは思っていましたね。新しいシューズを受け取ったのですが、少し大きかったので使用することを止めました。厚いソックスを履き古いシューズを使用することにしました。今までこんな経験はないのですが、35kmぐらいで血豆が右足裏にでき、最後はふんばることができませんでした。」
高橋に強さに驚く外国人記者は、強さの秘密を"蜂蜜"入りのスペシャルドリンク、赤い色の成田宗吾霊堂、オレンジ色の君津市三石山観音寺には祖母の形見の指輪が入っている"お守り札"に見出そうとする。彼女の強さが、マラソンの世界で"kazekko"がそのまま使われている。
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小出監督は続けて「マラソン選手は、少なくとも1年1本のレースに出場しないと"レース感"を失うものです。本当は春に1本走る予定を考えていたが、Qちゃんの仕事の関係でなかなか時間が取れなかったので、それじゃあと言うことでベルリン出場を決めたのです。そうこうしているうちに、陸連が来年のパリ世界選手権選考レースを発表しましたね。それで決めるなら早いほうが、本番への準備期間に時間的余裕があるわけですから、それじゃあ東京女子マラソンに焦点を合わせようと決めたのです。セヴィリアの世界選手権を故障で断念していますから、来年はひとつ世界選手権大会にひとつの大きいタイトルに照準をあわせるつもりです。それを通過して、ひとつひとつ次の目標に向かうわけです。今後Qちゃんがさらに一回り強くなるには25〜35kmの一区間5kmの通過スプリットタイムを、今日は16分50秒前後ですが、それより1分早い15分55秒前後にスピードアップできないと勝てないね。(筆者のラドクリフを想定したものかの質問に)そうです。ラドクリフ、デベレらのスピードに対抗するための必要条件でしょう。彼女らは5000、10000mのタイムからすると、2時間14、5分で走る能力がありますからね。」
高橋はベルリンマラソンで勝った意味をこう締め括った。 「今回はわずか3ヶ月の準備期間の練習でどれだけ走れるか?不安、怪我、負傷などいろんなハンデイキャップを持ちながら2時間21分49秒で完走した自信は凄い意味があると思います。これでまだ上を向いてやれる自信、アテネに向けて凄い意味を感じます。新たな挑戦意欲を感じて、アー、走って良かったと思っています。」
高橋尚子はベルリンマラソン優勝者の義務を果たした後、ミラノに飛んでショッピング、気分転換に一週間の休養を監督から許された。 |
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ケニヤ勢の上位独占ハットトリック優勝 無名のレイモンド・キプコエチ(23才)が、今季3回目、今回が6回目のマラソン。自己記録(2時間10分52秒、トリノ、00年3月26日)を一挙に2時間6分47秒史上10位の好記録で優勝。エドモントン世界選手権で、優勝したG.アベラと最後まで争って2位になったサイモン・ビオット(32才)が2時間6分49秒で2位、3位はヴィンセント・キプソス(26才、自己記録2時間9分30秒)が2時間6分53秒らの3人が、最後のスプリントで決着をつけた。
優勝者のキプコエチのプロファイルは、プレスキットに紹介されていない。それもそのはず、出場が決定したのは急遽1週間前だった。「毎日の練習は15人ぐらいのグループで走る。だから今日もいつもの練習と変わらない。できれば自己記録10分を破るのが目標だったが、6分が出るとは予想しなかった。今日はぼくが勝ったが、練習仲間は全員が強い
」トリノ(00年、5位)、エンシェド(02年、オランダ)・マラソン、いわゆる3流マラソンを2回走っただけの新人。マラソンを走り始めた動機は、2年前、サイモン・ビオット、エリック・キマイヨ、サミー・コリア、フレッド・キプロップらが大活躍していたから「これならオレにでもできる!」と、一緒に始めたから恐れ入る。出身地は、長距離王国3000m高地のウガンダとの国境にあるカプサイト地方。6人兄弟。写真を撮られるのがまだ慣れていない。表彰式で、カメラマンに両手を上げるポーズを要求されると、上げた手が疲れるほど長く葎儀にがんばっていたのが微笑ましい。
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