【土佐の記者会見に見る「日本と外国」二つの世界のギャップ】

土佐選手の共同記者会見はレース二日前、恒例の元英国を代表するクロカン、10000mの選手だったテイム・ハチングスが長年司会役を努める。最初の質問が「われわれは中国の昆民というところを知らないがどんなところですか?」と、通訳を通して質問してきた。

すると、土佐は「牛、馬、車、自転車が多いところを走ってきました」と短く返答。それだけでは明らかに説明不足で的を得た答えではなかった。昆民のイメージが湧いてくるのは難しい。通訳が親切に土佐から引き出すように話し掛けて説明不足を補った。すると、次も「毎日中国料理を食べました」と、判ったか判らないような返事に笑う日本人記者がいたが、外国人にはさっぱり意味不明な言葉で笑っていない。

その後も続いたインタビューは、「嗚呼、ウン」スタイルで、外国人にはトンと意味不明な雰囲気だった。選手は走ることがひとつの表現手段であるだろうが、それだけで選手の多くのことが伝わるとは思えない。

言葉を解して、選手を理解する必然性が必要になってくる。会話によって、多少の表現がなければ、特にこのような場合、外国人と十分なコミュニケーションが取れるとは思えない。ある土佐を知る人は、「人見知りするので慣れると良く喋る」と弁護したが、確かに日本語ではお互いに判ってしまう便利さがあるが・・・、「日本と外国」二つの世界のギャップが大きい。知人の英国人はなにがなんだかわからないままに時間が過ぎてしまった。

後半の積極的なレース展開 ゴール地点に大勢の日本報道陣、関係者が待っていた。ここでは土佐も気軽になるのか少し言葉が多かった。 「今日のレースは後半一人で先頭に立って引っ張るような形になったので、ケッコーレースが長く感じましたね。ゴールした瞬間『終わった!』と思いました。

最初の10kmまでは10人ぐらいのトップ集団でしたが、15km前後でラドクリフさんが前に出たのですが、早いかな、と感じたので追いつくのを止めました。周りを見ると、誰もラドクリフ、ツルさん、ペースメーカーの人を追いませんね。そのうちに落ちてくるのを待つつもりでした。ハーフ通過タイムが1時間12分何秒かでしたので、これを倍にしても自己記録(2時間224分36秒)が出せないのではないかと思ってちょっと焦りました。

そこでペースアップしましたが、そのころは既に前に行ったラドクリフさんの姿が見えない。気持ち良く走れたのですが、ラドクリフさんがどのぐらい前を走っているのか見当がつかないんです。ちょっと不安になってきた。タイムが全然わからない。前が見えないのを追うのはキツイです。

しかし、そうでもしないと、せっかく猛練習してきた意味もなくなるし、積極的に仕掛けるより目標タイムを出す手がなかったんです。25km過ぎてからだと思うのですが、ツルさんが落ちてきたが、その前は全然見えないんです。


わたしが先頭になって引っ張るようにしたんですが、ずっと後ろに付けられっ放し。脚も当たったりしたので横に避けたりしたんですが、1回も前に出てくれません。かなり積極的に仕掛けたんですが、一人で引っ張ってゆくのはキツイですね。『こりゃあしょうがないかな』と思っていたら、35km過ぎで行かれてしまいましたね。

それまで先頭で走っていたのでかなり体力を使っていますから、後ろからパッと前に出られると、追いつく力はなかったですね。ゴールするまで4位と知りませんでした。

ゴールしてから、ロシア選手から『蹴ってしまってごめんなさい。引っ張ってくれてありがとう』って、多分、英語で言われました。ラドクリフさんが、18分台で完走したことを聞いたんですが、強かったですね。後ろについているとき走りを見ていましたが、つま先でポンポン走り、こんな調子で行っちゃうのかなと思っていたら、行っちゃいましたね。スピードが違いました。

やっぱりスピード時代なのかな、そんな時代が来たのかなと、思いましたね。沿道の観衆の応援が素晴らしかった。走っていてタイムが全然判らなくて、ラスト800m地点で2時間20分だったので『もしかして自己新?』と思い頑張ろうとしたのですが、最後は足が絡まりそうでした。とりあえず目標の記録を出せたので良かったです。

これからはトラックでスピードをつけて、前半からハイスピードで押してゆくことができるようになりたいです」 鈴木監督談 「土佐が今までに見せたことがない後半になって、積極的にレースの主導権を握り走ったことです。結果的には、まあ、あれだけ見えない前を一人で追えば疲れるのは当然ですが、あのような状況の中で自己新記録を出して4位になったことは立派です」

2002.4.24.return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index