【五輪公園の回想、チャンピオンズリーグ準決勝戦】
チャンピオンズリーグ準決勝戦、バイエルン対2連勝を狙うレアル・マドリッド戦を取材した。ミュンヘンHBFからSバーンに乗り、オリンピックパーク終点駅で下車。地上に上がると、眩しい初夏の日差しが目を刺す。汗ばむような陽気だ。目の前の五輪公園は時の経過と共に、落ち着きと美しさを創ってきた。フッと、72年五輪に起きた狂気の惨劇を思い出した。黒いマスクを被ったパレステイナ・テロリストが、イスラエル選手宿舎を襲ったのだ。あれ依頼、巨大化するスポーツイベントは、常に厳戒体制管理下に置かれる。ビールコップを手にしたバイエルンファンは、沢山のワッペンを縫い付けたジャケット、両手にヒラヒラ撒きつけた独特のファンスタイルの若者達いっぱい。これがなんとしても野暮ったい。ダフ屋、“切符を買います”のカードを持ち歩き、最後のチャンスに掛ける人が立っている。人は初夏のオゾンにうたれ、爽やかな新緑のなかで平和そのものの風景だ。

バイエルンは、このシリーズで7戦無敗。特に、対レアル戦に滅法強い。準決勝デンも第一戦も、0―1で勝っている。この夜も勝負は、前半で決まった。8分、エルバがこぼれ球をヘッドで先取点、18分、素晴らしいラウルの突進から後方にクロスを入れる。走り込んできたフィーゴがピシャリと合わせて同点。しかし、34分、セットプレーからショルのパスをイェリミスがゴール、再びバイエルンがリードした。後半、バイエルンは5人DFシステム、水も漏らさぬ布陣設置。一方レアルは猛烈な攻撃を開始したが、攻撃が単純、策も、鉄壁を崩すパワーもなし。サイドからの(フィーゴ、マックマナン、その後、サヴィオと交代)からの抉りは、リザラズ、サニョールの2人のサイドバックが潰した。FW(ラウル、グテイ)の直ぐ後方の位置からの攻撃的中盤選手が不在。中盤候補のマケレレ、エルグエラが1戦になって上がってくるが効果なし。ラウル、フィーゴが下がってボールを受けて突進を試みるが悉く潰される。バイエルンは、後半始めから押されっぱなしでも、最後までDFラインの体力、気迫、チームワークに乱れない。特に、クフォーは、バイエルンDFで最も輝くし獅子奮迅の働きをした。試合終了と共に、クフォーは芝生に座り拳を夜空に突き上げて喜ぶ。クフォーは、15歳の時ガーナの首都アクラからトリノにきた。一昨年、チャンピオンズリーグ決勝戦で、バイエルンはマンチェスターに屈辱の敗戦を味わった。その時、クフォーが芝生に顔を突き刺し号泣した姿が印象的だっだ。今年の決勝戦、クフォーはどんなプレーを見せるだろうか。

パリに戻ると、バイエルンの決勝戦進出で華々しく飾った紙上の裏面に、ガーナで起きた悲報が目に付いた。あの競技場はぼくも良く知っている。帰宅して直ぐに、アクラの友人オフォリに電話を入れた。説明によると「ハーツ・オブ・オーク対アシャンテイ・オコト、国内最大の南北ライヴァクラブ同士の一戦だった。ビハインドのハ―ツ・オブ・オークが、残り5分で2―1と逆転した。レフェリー判定に爆発したファンが、物をフィールドに投げ込んで大騒ぎ。パニックに落ちた警官が催涙弾を観客席に打ち込む。蜘蛛の子を散らすように、逃げ惑い観衆が出口に向かって殺到したが、ドア―が開かずに124人が圧死した」。オフォリの声も電話の向こうで湿っていた。もう一人の友人ジョー・アグリは、新大統領に要請されて一介のジャーナリストから副スポーツ大臣に華麗な転身直後だった。

4月11日、ヨハネスブルグデもエリスパークで43人圧死。4月29日、コンゴで9人、5月6日、コートジボアールでも1名死亡。サッカーにまつわる惨劇が世界で続出した。
2001.4.20.return to home 】【 return to indexreturn to football-index