【"子供のころは神童と呼ばれ、大人になるとただの人"】

 

短期間で日本サッカ―選手の技術が大きく進歩したことは認める。が・・・そのころの柱谷などは碌にトラッピンができない、危なくなるとボールを蹴り出だけの代表選手だった。

井原は図体がデカク頑強でキャップ数の日本記録を持つ男。お世辞にもウマイとは言えない。そのレヴェル集団が日本チームだった。落ちようにも下がなかったから、今のチームがうまく見える。

スポーツ才能がある選手はまず野球に行き、ピッチャーで4番を打つ。まだまだ、サッカーは主流に遠く、野球のお流れをチョウダイしているのが現状だ。まあ、それでもWC効果で若者の興味を強く引いた。

昔から日本では「子供のころは神童と呼ばれ、大人になったらただの人」と、的を得た言い回しがある。古来、教育熱心な国民だ。遊ばせないで親が子供を強制して習い事をさせることが大好きなことは昔と変わらない。

甲子園が沸くのも不思議はない。サッカー強豪校、帝京や国見高校は、大抵のケースは高校3年間の結果を出すための効果を狙っての指導だ。だから強いが、卒業後はその反動で"伸びしろ"がほとんど期待できない。

スポーツだけではない。80年代のショパンコンクールで優勝したピアニスト、スタニスラ・ブーニンらを取材した経験がある。大小の国際音楽コンクールへは、日本人学生がわんさと押しかける。

ここでもサッカーやその他のスポーツと姿勢が変わらず。幼少から音楽一筋に練習を積んでくる日本人は、外国人審査委員に技術的な完成度(才能)が高い印象を与える。

ところがこれはかなり見かけ倒しだ。 コンクールに優勝しようものなら、すぐ"天才"と呼ばれちやほやされる。10代の活躍は、ただ、登竜門を潜っただけ。将来を約束されたことではない!

いざ自分の"音"を創造しなければならない年齢に達し、個性溢れる表現が必要になるころ、"伸びしろ"が消えてしまうのだ。

それは日本のサッカー選手にも当てはまること。天才だ!黄金の左足だ!とか、煽てられて自惚れる"勘違い選手"が多い。レヴェルの低い「ユルフン」Jリーグで通じる"天才"技術は、欧州では通じにくいのだ。

そんなことも理解できないので、ノコノコ欧州に飛び立つ。稲本、戸田、川口、鈴木、中村、広山、柳沢、高原らが、雁首並べて自信喪失して帰国しかねないからだ.

韓国選手も欧州に移籍するが、彼らは本物の実力を買われて行く。シャツの販売、TV放映権、スポンサー付きの「鴨ネギ選手」ではない。

中田英寿も在日韓国3世。かれのエージェントも在日の女性がやっている。なぜかこのことについては腫れ物に触るように、知っていながら誰もふれないでいる。中田も金本のプロ野球選手自伝でも読んだらイイ。

プロ野球は半世紀の歴史がある。時間の重みは、わずか10年そこそこの若いJリーグと比較しようもないが、大人の組織が人を成長できる土壌が築かれている。ボールを人よりうまく蹴れるだけでは済まされないことが、"勘違い選手"には理解されないから困る。

少しは松井に見習うことがあるのでは・・・。

2003.7.7.return to home 】【 return to indexreturn to football-index