【トルシエ"マニュアル"サッカーの終焉】

6月18日、日本対トルコ戦、(宮城)、0−1 5時起床、一番新幹線で東京経由、仙台へ。すでに東京発の新幹線は満員状態、仙台着11時。ここからメデイアバスで1時間。仙台着のころは大雨。それでも試合開始前には小雨になったのは幸いだった。

ベスト16に進出したことで、日本代表は達成感が生まれたのか,気の抜けたようにあっけなくトルコ屈した。あれが実力なのだろうか、受身に回り集中が途切れた象徴的なシーンだった。

日本は試合開始から,トルコの中盤からの激しい球寄せにタジタジ。自滅の連続,ミスが続出早い段階で勝負はついてしまった。トルシエが4年間掛けて作成した"マニュアル"サッカーの忠実な施行者(代表)は、その勤勉に120%のホームアドバンテージでここまで進出できが、終焉はいともあっけなかった。

ちょっとリズムが狂った瞬間,"マニュアル"にインプットされていない"フレー"欠如の弱点が出た。ここでの敗戦は、これ以上進出する最低の条件に、個性と組織,創造性の必要性をあたかも暗示するような試合内容だった。

42分,サントスがFKで狙ったボールは鋭く曲がったがバーに直撃。8強入りが最も近かった瞬間だった。その目的は期待以上の結果を出した。旅の終わりが新たなスタートに変わった。

韓国対イタリア戦,(大田)2−1(0−1,1−0,延長戦,0−0,1−0) 韓国はPKを失敗,そして先行された。それでも韓国はイタリアを88分追い詰めた。捕まえ,競り勝った執拗な執念を見せた。

後半,ヒデイング監督が打った采配は徹底した攻撃布陣だ。2−4−4のとんでもないシステムだ。パヌーチがゴール前のクリアーミスで韓国は追いついた。103分トッテイが2枚目のイエロカードで退場。117分,クロスの反応に疲れたマルデイニの対応が中途半端で,安が競り勝ちヘデインが決まった。

デルピエロを引っ込めて守りに入ったイタリアが土壇場で追いつかれた。ヒンギス監督は,徹頭徹尾攻撃の手を緩めない戦法が的中した。スペインも守備固めをした瞬間からなにかが狂ってきた。

1996年,北朝鮮がイタリア相手に演じた奇跡を爽やかに再現した。奇跡的な勝利を呼んだのは,思い切りの言い剛毅な采配,それに答えるだけの選手のエネルギッシュな動きで攻め続けたことにある。韓国の恐れを知らない激しい攻めに,衰えたマルデイニ、カンナバロが出場停止、ネスタが故障で伝統のカテナチオが崩壊した。

2002.8.19.return to home 】【 return to indexreturn to football-index