【アフリカ・サッカー界のパイオニア的な存在】
チュ二ジアは2大会連続3度目のワールドカップ出場。前大会は1次リーグ最下位0勝1引き分け2敗で敗退したが、78年大会アフリカ大陸唯一の初出場、アフリカのパイオニア的な存在だ。この大会でメキシコを3―1で破る殊勲を上げた。

伝統的に北アフリカがアフリカ・サッカー界を牽引していたが、エジプト、リビヤ、アルジェリアの国内情勢の不安定、80年代後半からサハラ砂漠以南の国、カメルーン、ナイジェリアらの台頭に状況が逆転した。チュニジアの功績も歴史に埋没された。

チュニジアの歴史は古い。数千年前、フェニキア人の末裔が起こしたカルタゴ帝国の勢力が歴史上で瞬間的に輝く時があった国。古代ローマの遺跡などが国内にも多く見られる。幸い、隣国と比較するとそれなりに政治的な安定度が保たれている。チュニジアは北アフリカで最も西欧化した穏健な国。人口約800万人、首都のチュニスは80万人。国土は北部の地中海性気候で豊かな果樹農耕地帯、南部はオリーブ畑からナツメヤシが獲れるオアシス、サハラ砂漠に続いている。

チュニジア代表チーム

協会ライセンス発行が、子供を含めた約2.5万人。国内リーグは14チームからなる。いかんせん小国の経済力では完全プロ化が難しく、セミプロ的な存在しか成立できない。チュニジアは、マグレブ(チュニジア、アルジェリア、モロッコを言う)の中で、一段とレヴェルの低いと見られる。アフリカ大陸とはいえ、欧州スタイルに近く、個人技を誇り足元の細かなテクニックが好きだ。国内リーグの「器」が小さく選手発掘に限界がある。名門は、エスペランス・ド・チュニス、エトワール・スポテイヴ・ド・サヘール、CS・スファックス、クラブ・アフリカンらがある。これらのトップクラブ、外国クラブ在籍選手が代表チーム「カルタゴの鷲」に選考される。言うまでもなく、切羽詰った国内事情により、選手の夢は欧州クラブでプロ選手として契約すること。さもなければ、エジプト、トルコ、さらに中近東クラブまで足を伸ばしてとプロ契約するのも辞さない。
2002.2.17.return to home 】【 return to indexreturn to football-index