【アフリカ第四番目のワールドカップ大会出場国決定】
セネガル、ワールドカップ初出場決定、ナミビアに5−0で大勝

7月21日、アフリカワールドカップ予選C組最終予選でセネガル(+12)は、ナミビアの首都、ウイントックでナミビアを0−5で一蹴。同じ日にアルジェリア対エジプト戦が1−1で引き分けたため、モロッコ(+5)と勝ち点15得点で並んだが、失点差でセネガルがアフリカ最激戦グループを首位で通過。悲願のワールドカップ初出場権を獲得した。本大会出場決定の朗報と同時に、ダカール市内の目抜き通りは市民で溢れお祭り騒ぎ。フランスを訪れていたアブドラ・ワデ大統領は、「ワールドカップ大会出場権を獲得したことを大変な誇りに感じる。これからのセネガルは、アフリカ大陸の強豪に成長、勝利の道を進んでゆくだろう。」と大喜び。フランス訪問を切り上げて帰国、国民とともに祝った。


セネガルは、1960年フランス植民地から独立。国土の大半が砂漠かサバンナで資源に乏しい国。かつて、セネガルの首都ダカールは、”西アフリカの小パリ”と呼ばれていた。アフリカ大陸で、クーデター、独裁者の経験がない実質的なデモクラシ-政権が続けられている唯一の国と言ってよいだろう。初代レオポルド・センゴー大統領は、ノーベル文学賞候補にもなんどかノミネートされた著名な詩人。アフリカの指導者で稀有な、自ら政権を退陣した大統領の一人であろう。もう一人には、タンザニーヤのジュリエス・ニエリエがいた。

セネガルが注目を浴びてきたのは、昨年のアフリカ選手権のとき。それまでのセネガルは80年台、フランスリーグで得点王に輝いたジュリ・ボカンテ(メッス、ラシング、ランスなどでプレー)らが活躍したときを最後に、ここ10年ほど停滞。つい最近まで、相手にもされなかった存在が、若手選手主体チームのポテンシャルの印象を残した。2000年11月、それまでの代表監督はドイツ人のペター・チュニツガーだった。2000年4月9,23日に行われた予備予選で格下の対ベニン戦で1−1,1−0と試合内容が悪かった。選手、監督の不和が原因で、フランス人監督、ブルーノ・メツに変わった。思い切った監督交代が効を奏した。これでチームの雰囲気が一掃されたと言う。「ブルーノはアフリカのメンタリテイを理解できる。ひとつの型にはめようとせず、個人能力を最大限に使ってチームを構成する」選手はフランス1部リーグレギュラー選手で構成。このチームで特筆されるのは、10試合で5勝ち、1敗、4引き分け。16得点、失点がわずかに3点!対エジプト戦を0−1で1敗しただけ。A.シセ()、ダフ(ソショー)、デイアタ(レンヌ)、コリー(ランス)らの鉄壁のDF陣が心強い。アフリカの問題は、素質豊かな選手をいかに協会がバックアップして、構成することが成功の道。一般的に、ここの国民は身体的に大きいため、もちろん選手も揃って大型選手が多い。ファデイガ(オクセール)、MFはザー(MF,サンテイテイエーヌ、27才)、デイアオ(MF,スダン、28才)、エンデイヤエ(MF,スダン、21才)、ファジガ、チアウらも控えている。

FWは、今期グラスホッパーから移籍してきたH.カマラ(スダン)、特に、9試合で8得点を挙げたエル−ハジ・デイオフ(ランス、20才)が予選では大暴れ。若いがフランスリーグで71試合出場経験がある逸材。外国クラブが食指を伸ばしている。一見の価値がある。攻守にバランスの良いチームだ。残り1年、若いセネガル代表が、親善試合、来年マリで開催されるアフリカ選手権を通して、どこまで伸びてくるか楽しみなチームだ。
2001.7.23.return to home 】【 return to indexreturn to football-index