【孤高のトルシエ将軍の誕生、】
3月4日,NYタイムスにハワード W.フレンチ著による「現代日本サッカー将軍」と言うタイトルの記事が掲載された。かれのアフリカ経歴、いろんな日本でのエピソードを混ぜて紹介。その最後に、トルシエは日本サッカーの偽りのない本音を吐いている。

「・・・He admits to craving the validation of his skills that can only come on a European stage」と文を締めくくっている。要約すれば、"かれのサッカー持論は、欧州舞台で実証したい要望が持っている"と。

トルシエが日本人と外国記者用に使い分ける言葉だ。「こんな下手な,(アフリカの比較して)運動能力のない連中と長くやっちゃあいけない。欧州舞台でオレの理論を実証したい!」と喉から出るほど言いたいのだろうが,アフリカより5倍ほどの給料を貰っている手前我慢している。ちなみに世界選手権保持者のフランス代表監督の給料は、トルシエの半分以下の5000万円程度だろう。

2年前,トルシエが日本代表監督就任した直後から,ジャ−ナリスト集団、スポーツ紙、協会内で釜本(自分の大阪ガンバの監督業大失敗を棚に上げ)らがゴタクを並べてトルシエ"降ろし"大反対キャンペーンを張った。

それはあからさまに執拗だった。トルシエは日の当たらないアフリカ大陸で監督をしていた無名の落ちこぼれ。実績のあるような人は、好条件でも日本代表監督は触手が沸かない。そんなトルシエに当り散らし、弱いもの虐めだった。ブランド志向の日本人には、アフリカで長く監督を勤めたフランス人などは、土埃するドサ周りの二流監督に映ったのだろう。

しかし、教わる日本選手はもっと程度が悪かった。トルシエのアフリカでのニックネームは「白い魔術師」だ。「ゲルマン魂」を持つクラマー氏と違った。トルシエはサッカー後進国日本に、先進国「フランス体育系宗主国」態度で徹底的に啓蒙した。「オレ流」が嫌われたのだ。だが、疑いもなく日本代表がレヴェルアップしてきた。

99年、ナイジェリアで開催されたユース世界選手権大会で日本が2位になっても、トルシエ「降ろし」キャンペーンが続けられたが,アジアカップ優勝後には,釜本トーン、さすがのキャンペーンも静まった。トルシエ孤高の「闘争」は、いつのまにか「チョンマゲ島民」を制し「トルシエ将軍」が誕生した。

2002.3.11.return to home 】【 return to indexreturn to football-index