【朝原、欧州室内レース転戦、「イイ感触を掴んだ!」】

朝原は欧州室内大会(2月4〜26日)を同僚のO.トンプソン走り高跳びのM.ボズエルらと共に参加転戦した。最終戦フランスの北の小さな町リエヴァン大会でその体験を聞いた。

北欧のレースはどうでしたか?― 「2月2日、オーステインを発って真冬のオランダに3日到着。4日、早くもフィンランドのテンピヤのレースに出場しました。時差だけではないでしょうが、なんか身体にピリッとした感触もなかった。納得がいかないスタートでしたね。結果は60m、6秒68で2位100mも10秒41で2位でした。でも、室内1戦目ではこんなものかな?と思いました。6日、ストックホルム。ここでは圧倒的にスエーデン選手多く予選前のヒートですから予備予選でしょうかね。記録は6秒71で2位です。結局、このレースはヒートで勝たなければ予選に出場できない。それがケッコー『ガックン!』と疲れを感じて、感じを掴めないまま終わってしまったんです」

なぜこの時期室内レースですか?― 「アメリカで室内練習は一切していません。走ることに関しては屋内外の区別はないのですが、練習とレースでは根本的に違います。室内レースの実績なんかないのですから、欧州室内レースに出場するのは大変なんです。オランダを基地にして、転戦したのですが室内記録達成とかの目標を持ってきたわけではありません。レース出場して走る感触を本番での再確認をしているのです。今までの冬季練習などの成果をテストする絶好の機会です。もちろん気分転換にもなります。滞在先ハーグで、たまに陽が出ているのを見計らって、室内練習トラック施設がないので寒い屋外、また、はジムで練習します。昨年のこの時期アメリカで1回の室内レース、タイムも6秒7台。そのあと直ぐにリスボン世界選手権に行ったのですから段違いのイイ状態と思います」

短期間の移動、練習など調整は難しいのでは?― 「ゲントは出場チャンスがなかったんですがハーグから近くなので車でレースを見に行きました。ついでに許可を得てウオーミングアップ場で練習もしましたね。今回の遠征で出場が決定していたのはフィンランドとアテネだけ。あとはマネージャーが押し込んでくれました。13日はパリです。感触はイイはずなのに予選で5位、決勝で6秒68でした。調子は良く、レースごとにイイ感じできていましたね。パリのレース主催者は、施設は良いのですが、運営が雑でした。人はそんなに親切はなく、選手運行のバスが時間どおりに運行しない。あるキューバの選手は次の日、バスが遅れて飛行機に乗り遅れました。欧州転戦は短期間に集中的に行われます。

いろんなことも起きますね。レースの翌日、パリからハーグに戻り調整。16日、ハーグからバーミンガムに移動、17日にレース。18日にハーグに戻る。こんな調子の日程です。車で移動するのは楽ですが距離の短い欧州でも空を飛ぶのは疲れます。そんな時、寒くても外出して気分転換身体を動かして汗をかくようなことをします」

どのレースが最も印象的でしたか?― 「今回の遠征で、やはりバーミンガムのレースが最高でした。レースごとに調子が上がってくるのを感じるのですが、好記録を持つメンバーが良く集まったレースです。緊張します。 結果的に予選6秒60決勝は6秒61で5位でした。まだスタートが良くないので、このままじゃあしょうがないので、バーミンガムのヴィデオを見てスタートを変えました。なにをどうして変えたのは言いたくないですが、技術的なものですね。それによって、最初の一歩が違うことによって、効率よい加速ができるのです。気持ち良く加速ができることによって後半の伸びが違ってきます」

「20日、アテネに移動。 バーミンガム、アテネでレースごとに気持ち良く加速できてきたのが判るんです。もちろん、それだからと言ってタイムがベラボーに良くなることはもちろんないわけですが中身が違いますね。しかし、バーミンガムと違って、今度はピリピリするような緊張感が全くない。なんとなく緊張が抜けて同調したのがいけなかった。あの時のタイムも少しおかしかった。もう少し早かったと思うのですがぼくの記録は2本とも6秒68で5位です。順位は団子状態でゴール。結果、記録が20分後にやっと発表があったのですが、ちょっとあれはおかしかったですね」

突然リエヴァン出場が決まったいきさつはなんですか?― 「アテネで3泊。ハーグに戻ると、リエヴァンは定員いっぱいで出場することができない通知を受けました。そこで23日アメリカ行きの飛行機の予約を入れ、荷物をまとめ完全に帰還モード。その日の午後レースがないのでウエイトトレーニングなどを含めてかなりきつめの練習を終えるとリエヴァンから選手のキャンセルが出たから出場しないかと"オファー"がありました。嬉しかったのも半分エーッ?!今ごろ言われても・・・と言うのが正直な反応です。しかし直ぐに出場モードに切り替えバタバタしてレース翌日のフライトをブリュッセルからオーステイン行きフライトを変更予約。23日エージェントの人と車で2時間飛ばして選手宿泊ホテルにチェックイン。数時間休んでから、バスでリエヴァン会場に行き練習しました」

「1本目(50m、5秒753位)はあんなものですが、決勝(60m6秒63、5位)はスタートが失敗です。ブロックが蹴った瞬間、ブロックがずれました。本当に惜しいことをした。あれがなければ.60を切れましたね。良い感触を掴んだので収穫は大きいと思います。これで記録はともあれ屋外シーズンに向けて練習を積んで、テキサスリレー大会で個人種目は出場しないでしょうがリーレーに出場、シーズン開幕に持って行けるでしょう」

2001.12.1.(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2002年4月号掲載予定)
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