欧州陸中競技の花形種目は中距離だ。史上稀な800、1500mで一世を風靡した3Sセバスチャン・コー、ステーヴ・オーヴェット、ステイーヴ・クラムの英国勢は長らく世界のレースを制覇した。しかし80年代後半からアフリカ勢の台頭と共にケニヤ選手の活躍が特筆される。現世界記録保持者のウイルソン・キプケター(30才)の存在は強烈なインパクトを世界の800m選手に与えた。その衝撃の反動分身、アンドレ・ブッヒャ―(26才)が生まれてきた。サイヴォーグのように鍛えられた頑強な身体から、スイス時計を思わせる正確無比なリズムを刻む豪快なフロントランナーだ。このスイスの英雄を国内で捕まえるのは非常に難しい。欧州室内最終戦リエヴァンでやっと捕まえて今シーズンの抱負を聞いた。
―リエヴァンのレース感想は?
「今日のレース結果は非常に満足しています。キプケター(デンマーク)、セペング(ナンア)、キムタイ(ケニヤ)、ドベ(ボツワナ)、チャピエスキー(ポーランド)らの世界トップクラスの選手が出場したレースです。バーミンガハムとヘントのレースは、面白いレースができなかった。勝敗にこだわりタクテイカルレース。それとは違って今回はペースメーカーが前半から速いペース(通過タイムは24秒0950秒321分17秒81)で入り予定通り最後まで後続を引き離すことができた。1分45秒08はスイス室内新記録、今季世界最高記録です」
―昨年と比較して今年の室内は快調ですね 「調子はいいでしょう。昨年もストックホルムバーミングハムドルトムントの3レース無敗でしたがそのあとが悪かった。リスボンで開催され室内世界選手権大会前風邪で熱を出して喉が痛く調子を落とし体調が100%ではなかった。前半から思い切って飛ばして逃げ切れると思いましたがゴール前でバテテ捕まりました。普通のコンデイションならばあのレースは勝てたと思いますよ。 タイトルに縁がありません(笑う)」
―シドニー五輪の後遺症ですか? 「それはないでしょう。800mは非常に難しいレース、アクシデントはツキもので運がなかったと言うことでしょう。ホームストレッチ前の最後のカーヴで争うポジションは熾烈です。特にタクテイカルはレースの時はペースが遅く団子状態で走っています。良くある事故はあそこで外に振り回されるときです。シドニー五輪決勝レースは、明らかにキプケターを中心にタクテイカルなレース展開前半が53秒43のスローペースです。ぼくはアンロレア・ロンゴ(イタリア)の押されてコース外に出てしまいリズムを乱されて5位です。運がありません」
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―昨シーズンはブレークしたシーズンでしょう? 「やっと念願のタイトルを獲得。自己記録更新世界選手権優勝を達成できました。それまではあと一歩で大きな大会の優勝に運がなかった。スイス選手権で4回優勝その他大きな大会で2位が5回優勝は初めてですから格別です。昨年は春から屋外練習も故障もなく春先に基礎をしっかり高地のサンモリッツで合宿さらにエドモントン前に高地練習も行った。総ての練習をほぼ完璧に消化してきましたね。6月末、ローマGLでボルザコフスキーと激戦。ぼくが先行かれが後から追い上げてくる典型的なレースパターンです。胸ひとつまで追い込まれたが、この時期1分44秒01では上出来でしょう。7月6日パリGLでまたしても対戦同じようなレース展開で勝ち1分43秒34と記録を伸ばしてきました。そして、7月20日モナコGLでボルザコフスキーと今季3度目の対決。ラップを51秒30とそんなに速くはなかったがバックストレッチでボルザコフスキーがいつもより早めに猛然と追ってきたが、残りの距離で競り勝ったのは嬉しかった。1分42秒90のスイス新記録です」
後半がさらに強くなった? 「後半の驚異的なスピードが武器のボルザコフスキーと3度対決3連勝は大きな自信なりましたね。冬季から春にかけての練習は特に最後の50mのスピードをさらに増すことに焦点を当てました。それまでは速いペースメーカーを必要としていましたが春先から独走でハイペースを設定できる能力が高まったのです。 モナコの場合は最後の300から350mのロングスパートをしてもボルザコフスキーに抜かれなかったのです。ですから世界選手権でレース展開がタクテイカル、ハイスピードのどちらになっても順応する能力がつきましたね。調子はよかったのでタイトルが掛かるレースにつきもののタクテイカルなレース展開だけを警戒しました」
しかし、ブンゲイの積極戦法が幸いした? 「決勝レースは誰が勝ってもおかしくはないが、わたしにとって完璧なまでに最高のレースだったのです。ブンゲイもハイペースレース(50秒41)が必要でわたくしもハイペースレースは望むところだ。お互いに巧く一緒に絡んだ結果です」
―世界選手権から帰国後国内反応はどうでしたか? 「スイスは小さな国ですが陸上競技は伝統的に盛んな国です。チューリッヒローザンヌGPは世界でもトップクラスです。スイス選手が世界選手権で、ギュンターが879193年砲丸投げで優勝していますが、トラック優勝者はぼくが始めて。五輪を含めて万年優勝候補から脱皮したのでその反動で大歓迎を受けました」
―その余勢を駆ってチューリッヒGLは凱旋レースでしたね。 「地元チューリッヒGLは、世界で最も熱狂的な大会です。目の肥えている陸上ファンは世界の強豪が競う目撃者ですが地元選手がトラックで活躍する機会はほとんどありません。そこに私が世界選手権優勝者として帰国地元レースに出場するのですから下手な走りはできません。世界選手権の800m決勝レ―スの再来エヌドウイマナ(ブルンデイ)、ブンゲイ(ケニヤ)、チャピエウスキー(ポーランド)、ボルザコフスキー(ロシア)シューマン(ドイツ)らが出場ほぼ全員が自己記録を更新する激戦でした。世界の強豪を相手に地元レースで再び勝てたことは別の意義がありました。その1週間後8月24日ブリュッセルでユリー・ボルザコフスキー(20才史上5位の好記録1分42秒47)に、ゴール手前で抜かれて負けたのが昨年唯一の敗戦です」
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―あなたは400から10000mまで公式記録がありますが種目はなにから始めたのですか?
「もともと高校生のころは長距離、クロカン選手として走り出したのですが耐久力はあったのでスピード練習をして行くうちに自然に距離が短くなってきたのです。大学生になったころコーチと1500mランナーになる最良の練習プログラムを考えると800mのスピード練習の必要性があることで一致しました。800mとう種目はトラック最短距離レースのスプリントから最長距離10000m総ての要素が濃縮して詰まっているようなレースと解釈しています。ですから800mレースはスピード感に溢れスリリングなレース展開になります」
―コーチの薦めで800mに転向したのですか? 「コーチは15005000mの練習計画を作ったのですが最終的に自分で800mランナーになるのを決めました。このレースは非常にキツイが、勝った時の満足感は素晴らしいと思います」
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―いつ頃からプロになったのですか? 「97年ベルン大学を卒業7から12才の生徒を教える小学校教師免許を獲得してからプロランナー転向しました。親のすねかじりでは100%練習に専念できない。とにかく将来を考えて教師免許獲得をしました。当時、キプケターがぐんぐん力をつけてきたときですね。どこまで自分の潜在能力があるかわからないが未知の自分に掛けてみたかったのです」
―キプケターの存在はどのような影響を与えましたか? 「アトランタ五輪前後のキプケターは誰も手がつけられない強さ華麗なランニングフォームで世界新記録を次々に樹立、勝ち続けていました。われわれ800mの選手は完全にバイプレーヤーなにもすることもできずやろうとしてもかれがあまりにもずば抜けて強すぎましたね。かれはわれわれのペースメーカーとしてスタートからゴールまで走り抜ける。(笑い)われわれ全員一生懸命かれのあとに付いてゆくだけでした。800mはキプケターの完全な独断場、かれのあまりにも強烈なイメージが今でも生きています。しかし、世界中のランナーがかれに追いつけ追い越せ!例え適わぬとも打倒キプケターを目指した強烈な刺激事実です」
―いつごろキプケターを捕まえるようになってきましたか? 「昨年、かれはマラリヤでレースに出場していないでしょう。今でも強いですよ。」
―それが800の種目に才能ある若手選手が多い? 「われわれは史上最強選手キプケターの存在イメージかれの樹立した記録への挑戦が高い目標です。ぼくが現在あるのもある部分ではかれへの限りない挑戦がぼくを駆り立てているのでしょう。最近若手選手の台頭が多いのも、800mへの挑戦にたまらない魅力を持っているからでしょう。」
―若手ナンバーワンボルザコフスキーと話すことがありますか?
「残念ながらかれがドイツ英語など喋らないしぼくもロシア語を喋れないので話すチャンスがありません。かれはまだ20才。ちょっとレースに波がありますが素晴らしい才能を持った選手でしょう」
―800mの世界記録への挑戦は? 「キプケターの記録は現在のわれわれのスピードでは非常に難しいと思います。ぼくのベストタイムでもまだ1秒44の差があるのです。これは大変な記録です。現在考えられる可能性は少なくともあと数年の時間が必要でしょうか。決して不可能なことではありません。また、現在の世界中の800mランナーで世界記録を破る可能性もしできるとしても非常に難しいと思いますね。それよりは、僕は今季自己記録をサブ41秒に突入できることを期待します(笑い)」
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―フロントランニングはあなたの特許? 「タクテイカルなレースより速いペース展開を好むのでフロントランナーになってしまっただけです。なんのレースでもスタートからゴールまで独走することが完璧な理想的の優勝スタイルでしょう。距離がそんなに長くない800mのレースは極端に早いか遅いペース展開の2つしかない。最後までもつれて優勝争いより積極的に前に飛び出したレースのほうが走りやすい。でもぼくも最近作戦を変えるレース例えば昨年のGPファイナルは集団の後方について走りました。あの走りでもボルザコフスキーに胸ひとつの差で勝ってGP総合優勝しました。状況によってレース展開を変えることもできます。」
―タクテイカルレースの弊害はなんですか? 「まずタクテイカルレースが続くと記録への興味が薄れますね。勝負の明暗が前面に浮き彫りされるだけです。記録への限りない可能性の追求潜在能力引出しへの可能性は極端に薄くなります。例えば2000年のシーズンはキプケターが病気のこともあっただろうが誰もがゆっくりペースのレースが多かった。五輪に備えて優勝が優先、無謀な記録への挑戦は避けて勝負に徹したためです。2001年はかなり早いペースのレースに戻ってきました。レースそのものが前年と比較すると非常に違ってきたので全体のレヴェルが高い。」
―今年の抱負は? 「室内欧州選手権と屋外欧州選手権の優勝できればサブ42秒への挑戦です。ぼくの最高のコンデイション天候強力な出場選手の積極的なレース展開などが巧くかみ合わないとサブ42秒は難しいでしょうね」
(インタビューの約束は、選手宿泊ホテルでコーヒーでも飲みながら夜8時だった。ところが待てど一向に姿を見せない。かれの部屋に電話しても返答なし。この時ブッヒャ―が乗った選手用バスが交通事故で渋滞に巻き込まれ、1時間半遅れで戻ってきた。シャワーを急いで浴び夕食抜きでインタビューに応じてくれた。
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