エチオピア長距離の歴史は、不世出の天才マラソンランナー、ビキラ・アベベから始まった。ローマ五輪で無名のアベベは裸足で出場。古代ローマ人が築いたアッピア街道をひたすら走り抜け、圧倒的な大会新記録で優勝。アフリカ大陸に初めてオリンピック金メダルを持たらした。続く、東京五輪でも無敵な強さで青梅街道を一人旅、史上初の五輪連勝を遂げた。アベベは表情を変えることもなく淡々としたリズムで、平然と常識を超えた驚異的なアフリカンパワーを世界に示した。42.195`の空間に、人を強く惹きつける不思議な魅力を持っていた。時に60年代、アフリカ民族意識が次第に高揚、植民地から次々に独立、アベベは“大陸の星”だった。メキシコでもウオルデイ・マモが優勝、五輪でマラソン3連勝を成し遂げたのは、あとにも先にもエチオピアだけである。その後、イフター、ケデール、ツーラ、デンシモ、メコネン、ツル、ロバ、ゲブレセラシエと、流転の政治の中にあっても長距離の伝統が脈々と継承されてきた。
エリートランナーの朝練習
アフリカの朝は早い。5月初めアジスアベバの早朝は、身体が引き締まるようにひんやりとする。6時ごろから薄紙を剥がすようにしだいに明るくなると、ホテルの庭に鮮やかな紫のブガンビーヤが美しく見える。市内中央にあるスタジアム周辺は、物乞いの子供達、自転車、バイク、自動車、トラックの野天教習所、洗車、サッカー場らでごった返す賑やかなところ。7時を少し回ると、色とりどりのユニフォームを着た選手、コーチらが、市内の中央にある国内唯一の全天候トラック、イスラエル政府が、黒いユダヤ人と呼ばれるエチオピアユダヤ人保護の見返りとして建てられた国立スタジアムに連れ立って集まってくる。ゲブレセラシエは、世界選手権の副賞の車、メズゲブはフランス製の小型車、ツル,ロバ,ワミ、ドルチェらの女性は、彼女らの夫が日本製の四輪駆動車で送ってくる。しかし、これらの選手以外は、バス、乗り合い小型バス、タクシーを利用する。 |

世界史上最強女子長距離選手ツルと家族
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1974年クーデターによって、ハイレセラシエ皇帝が暗殺され社会が激変した。が、才能ある選手を全国から首都に集め、陸連のエリート教育システムは変わっていない。現実に、変えようにも地方では施設,受入体制さえもないらしい。スタジアム朝練習に参加できる選手は、全国から集められたナショナルチームの長距離エリート集団。マラソン選手は,陸連の大型バスで郊外のクロカンコースに行く。スタジアムの正面から一歩入るのも、頑固なガードマンと猛烈にやりあって、やっと許可が下りた。ここは選ばれたエチオピア長距離選手の“特別区域”。選手の練習の妨げるようなものは、見物さえ許可しない。バックスタンドの上部に建てられた巨大な五輪マーク、その中に、17年間続いたメンギスツ社会主義軍事政権(1974〜91年)が国威高揚のため偉大な五輪メダリストのイメージを掲げた。それもいまではすっかり色褪せ、アトランタ五輪の結果は付け加えられることもない。旧知の陸連長距離ヘッドコーチ、ウオルデイ・メスケル博士は、松葉杖を付きながら陣頭指揮。かつて、彼は旧政権の片割れと見られて一時左遷されたが、選手の強い熱望で再びアトランタ五輪直前現職に復帰した。エチオピア長距離選手が、こうした時流に巻き込まれ、紛れもない悲劇的な顛末を迎えた話しは多い。後ほど詳しく書こう。スタジアムの医者、アヤレウから心温まる歓迎を受ける。以前ここにきたときよりも、全体の雰囲気が和やかに感じられたのはホッとした。心配されたアキレスの痛みも消えて元気いっぱいのハイレ・ゲブレセラシエ、バーミンガムで室内2マイル世界新記録樹立したハイル・メコネン、次代を期待されるミリオン・ウオルデイと3人。若い二人が、苦しそうにハイレの後方からピッタリとついて走るインターバル練習。大声でタイムを告げるコーチ陣。アセファ・メズゲブが先頭に5〜6人の選手と一緒にジョッグ。ゲテ・ワミは3人のランナーの先頭に立って引っ張る。若手のクトレ・ドレチャは、短い距離を2人で肩を並べて走る。トラックは、およそ、いろんな各グループでいっぱいだ。こうして、エチオピアは確実に次世代へ走る財産を継承して行く。
朝練習は、おおよそ10時前後に規則正しく終える。午後練習は全員自主練習、スタジアムを使用せず郊外のクロカンコースを使う。
ドルチェの勇気から始まった取材
今回の取材目的は、エチオピア五輪長距離選手の私生活を撮影、インタビューを考えていた。練習後、目当ての選手を捕まえ、約束の時間を取りつけるのがひと苦労。一人に説明に時間が掛かると、ほかの選手が帰宅してしまう。信じられないだろうが、ここでは家に住所がないのだ!住所がないのでタクシーは使えない。もちろん,郵便配達は,ほとんどのアフリカではなく私書箱を利用する。スタジアムを起点にして、選手の車で送迎してもらわなければ取材に動けない。最近ここでも携帯電話が流行り、トップ選手は持っているが、電話では選手とのコンタクトがなかなか難しく厄介なことだ。大方の選手は片言の英語が喋れるが、こちらの意図がなかなか理解されない。こうした場合、とにかく一人の選手を撮影、インタビューを済ますことが大切。あとはその選手からあっという間に、ほかの選手に伝わるからだ。
端正な顔をしたクトレ・ドレチャ(22歳、今年世界クロカンショートコースで優勝、1500m、3分58秒38)が、夫マラック(28歳)の通訳でこちらの意図をたちまち理解、尻込みする夫を口説いてあっさり撮影を承諾してくれた。マラックの運転する日本製四輪駆動車で、市内から南に15km、カアリテイ地区に向かった。驚いたことに、車がクネクネ曲がらずスムースに流れる。数年前まで、市内の道路は無数の大きな穴だらけ、車は真っ直ぐに走ることは不可能だった。さすがに郊外に出ると、家も少なくなってくる。本道から坂道を下る南斜面の一戸建てがかれらの家だ。エチオピアでは、車を持つような家族ならクラクションを鳴らすと、必ずドアーを専門に開ける男が24時間待機している。自分で車から降りて、ドアーを開けるようなことはまずない。
「そもそも学校で走り始めた動機は、ツルがバルセロナで優勝したシーンに感動、単純にツルに憧れたからです。シダモ(アジスアベバから南東に300km、最高のエチオピアコーヒー生産地として有名、ちなみに、コーヒーはアジスアベバの南
“カファ” 地方に由来する)からアジスアべバに来たのは、約6年前の16歳の時。その4年後に自分でも五輪に出場できるとは、夢にも思わなかった。アトランタは実力どおり。800mは予選落ち、1500mでエチオピア新記録4分7秒69だったが、今ひとつ力が足りず準決勝戦で落ちた。シドニーは、1500mだけに絞る予定です。昨年より力がついてきたと思うし、世界クロカンで優勝した精神的な強さが大きいと思います。少なくとも、昨年の世界選手権大会以上(1500mで3位)の成績は残す自信がありますね。特に、恐れるような選手はいませんが、マステルコワはレース展開が上手いので要注意です。(ドレレチャは敬虔なキリスト教徒。イースターの前夜の真夜中、コプト教徒は、着飾って教会に行き願いことを祈る。その時何を祈ったか聞くと)国のため、我々家族のため、シドニーで私の大好きな1500mに全力でチャレンジできるように神様に祈った。レースで全力を尽くせることが大切です。悔いが残るようなレースだけは避けたい。将来は、ハーフマラソンまでは距離を伸ばしても、フルマラソンには行かないでしょうね。あれは大変にきついレース」と、屈託がない。
極貧,旱魃,戦争を抱えるエチオピアの現状
エチオピアの国土の大半が高原地帯にあり、山が多く、赤道地帯にもかかわらず気温は温暖で比較的に過ごしやすい。国土全体が、自然の要塞のような地理的条件が、エチオピアを外敵からの侵略を拒んできた。エチオピアとは「陽に焼けた顔」という意味らしい。気の遠くなるような過去、数百万年前の人類最古の“ルーシー”も発見されている。エチオピアの起源が、シバの女王とソロモン大王の間に生まれたメネリク1世が初代皇帝になったという伝説もおもしろい。アフリカで唯一の3000年の歴史を持ち、長い独立を守り続けられてきた。
起伏の多い海抜2400mの首都アジスアベバは、4年前と比較して見違えるほど活気に溢れ、新しい建物が建ち、交通量が急増して活気があり平和そのものに映る。ホテルのTVから流れるBBC,CNNのニュ−ス番組は、アジスアベバでは想像できない別世界から衝撃の映像が放映された。ソマリアに近いエチオピア東部のオガデン地方は、過去2年間雨が降らないという。そのため、旱魃による800万人が直面する飢饉、やせ衰えた人、家畜が死んで行くシーンが映し出される。しかし、雷を伴い叩きつけるような豪雨が、判を押したように毎日夕方やって来る。世界は真に皮肉にできている。北部からは、隣国エリトリアとの国境戦争の映像だ。ゼナウイ首相は、「どんな代償を払っても、国境問題が先決」と、元軍人上がりの、よくある典型的な独裁的指導者の言葉がTVから流れる。エチオピ、エリトリアも、世界でも最も貧しい国のひとつでありながら、恐るべきの莫大な戦費、人命を消費しているのだ。弱いものはつねに悲劇的に、動物以下に扱われる。そんな映像をホテルのソファーに埋まり座りビールを飲みながら、あたかも他人ごとのようにTVを眺めているエチオピア人がいるのも紛れもない現実である。ふっと、エチピアのランナーは、この究極な対照の狭間で、振り切るように走る行為、すなわち、現実の逃避を可能にするのではないだろうかと、思った。モチベーションが生まれる根底が違う。スポーツとは、所詮“戦う”ことではないか。それとも私のように、通りすがりの一介のよそ者が寄せるナイーブな同情に他ならないのだろうか。目の前のアジスアベバは、戦争、飢饉の片鱗さえ見えないのも事実だ。選手の家に招かれるたびに、嫌と言うほど次から次へと目の前に食べ物が運ばれてくる。出された食べ物は、例え少しでも食べることが礼儀であると聞かされていた。罪悪感を感じながらも、満腹の胃袋にさらに詰め込まなければならない窮地になったことがしばしあった。義務で食べ過ぎた胃袋を抱えながら、ホテルの衝撃的な映像に、やりきれない感情を覚えた。
マラソン新世代の秘めたる能力と経験不足
スタジアム前から、ハブテ ジファー(24歳、1万m、27分06分45秒)の運転するオンボロ教習自動車で、東5kmのアラニオ地区にあるジファー兄弟の家に向かった。テスファヤ ジファー(25歳、マラソン、2時間6分49秒)は、ハブテのひとつ違いの兄だ。左目は白く死んでいるように見える。ハブテの運転は危い。ギアーのシフトもままにならない。手、足、目のコーデイネーションが真に悪いので、車が左右に寄って怖い。本道から離れると、舗装道路は消える。途端に車は工事中のぬかるみの道に深まるように入る。エンジンが喘ぐようにして斜面の凸凹道を登る。ボデイが時々地面を削る。それでもなにごともなく無事に到着した。テスファヤの家はハブテの家から、わずか100mほど離れている。最初に、ハブテの家で撮影、インタビューを済ませる。独学と言うハブテの英語は、エチオピア選手の中でも抜群にうまい。テスファヤが英語を片言しか話さないのでハブテが通訳をしてくれた。
「ぼくは94年千葉駅伝で、靴がうまく馴染めなく面倒だから裸足で走った苦い経験がある。ぼくらはここから120km離れたアンボー村出身。93年に素質を見とめられてアジスアベバにきた。ツルと同じ警察に属して、彼女は大佐でぼくの上司、と言っても我々の仕事は走ること。月給は一ヶ月約60ドル。(彼の昨年の年収を聞くと,約7万ドル)これじゃーあ生活は苦しいが、田舎から出てきた独り者ならなんとかやって行けるさ。走って給料を貰えるなんて最高のこと。先日、子供が誕生するし、兄(1万m29分11秒、5000m14分39秒、いずれもアジスアベベで)は2年前から、ぼくの薦めで長距離を走り出した。その年、兄の初マラソンはここで走った2時間18分。昨年3月、パレルモで開催されたハーフマラソン世界選手権で3位、兄の活躍に自分のこと以上に泣いて喜んだね。まさか、あんなに急激に成長するとは思わなかった。昨年の10月、アムステルダムで12分を目標に出場したら、デンシモの記録を破る2時間6分49秒のエチオピア新記録を樹立。我々はただア然、誰も予想しなかったことを、ウチの兄貴は簡単にやりのけたから凄い。今年の春マラソンは、説明がうまくできないが、身体の中に寄生虫がいるらしく調子が良くなかったので走らなかった。もうすぐ、オランダから特効薬が送られてくるので心配はない。案外簡単に駆除できるらしい。今年は、兄弟で五輪チームに選考されたし幸運な年になって欲しい。ぼくはシドニーではメダル取りが目標。今、ぼくは調子が良くないが、心配はしていない。今年はシーズンが長いので焦ることはない。照準はシドニーに合わせれば良いんだ。できれば兄弟初五輪出場で、2人揃ってメダルを獲得したいね」
ジファー兄弟仲が良い。弟のハブテは兄思い。取材対応にも長年の国際経験を生して、不慣れな兄を立てる。アフリカ選手の選手の潜在能力は怖いほど高い。とてつもないラッキーなのか潜在能力なのか、いずれにしてもマラソンで18分台の選手が、2回目のレース経験で6分台で走る凄さを持っている。しかし、テスファヤと話しているうち、彼自身が6分台で走った実感を持っているとは思えないような気がしてきた。“マラソンは走れば走るほど怖くなる”と、言われる。その言葉を投げつけてみると、“そのうちに経験するよ”と素っ気ない返答があった。
テスファヤ トーラ(26歳、マラソン2時間6分57秒)は、テスファヤ ジファーとどこか良く似ているランナーだ。最後までなにか怯えているのかように取材を受けようか迷っていた。かつてのシステムが変わっても,頭の切り替えが急にフォローできないのだろう。疑心暗鬼の人達が多い。スタジアムの中で写真を撮ると,今でも中にはスポーツ省から撮影許可書を取ってくるように言う人もいる。10数年前、マモ、イフター、ケデイール、ツーラらの、メダリストにインタビュー、撮影を申し込むと、誰もが怖がって自分で判断できなかった。トーラの場合も同じようなこと。判らせようとしたが無理なようすなので、スタジアムで競技を観戦し入ながら済ませた。
「ぼくはアジスアベバから東に約170km、アシーという小さな村出身。クロカンで走っていたのをあるコーチが認め、ナショナルチームに推薦してくれた。ぼくはトラックよりクロカン,ロードレースが好きだ。自己記録は1万mでは28分12秒32、5000mは14分。96年からマラソンを始め、その年アジスアベバで初のマラソン、2時間20分18秒で14位、次の年,ハーグで走り2時間18分21秒で6位だった。昨年は、どうしたことか記録が急に伸びてきた。練習パートナーのT.ジファーと一緒に走った世界ハーフマラソンで8位、秋のアムステルダムマラソンで2時間6分57秒の4位。光栄なことに、念願のシドニー五輪代表にも選ばれた。我々二人が助け合って走れば、五輪で良い結果が出るのではないかと思っている」
エチオピア五輪代表マラソン選手は、T.ジファー、T.トーラ、残り一人は調子を見て決定するらしいが、今年のボストン2位のゲザハン.アベラ(22歳、2時間7分57秒)が最有力選手になろう。いずれもマラソンの経験が浅いのが気になる。ポテインシャル,彼らの武器でもあるが,難しい五輪を勝ち抜けるだろうか?
アベベを超えるか?史上最強の長距離ランナー

ハイレと羊飼い
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エチオピア暦は西暦より8年間年号が遅れ,1年は13ヶ月もある。1日の始まりは日没(午後6時)から計算される。そこで,われわれの午前1時はエチオピアの午前7時に当たる。かれらに時間,日づけ,年齢を聞くと,答えるのに時間が掛かる。計算がややこしいからだ。それもそのはず,西暦9月11日がエチオピア暦の新年。時間,日付の観念が頭の中で混乱する。日本でも,これほど奇妙ではなかったにせよ,つい先日まで、暦,時間の観念が現在より違っていた時があった。これも慣れだろう。エチオピア人が配慮して,私の時間観念に合わせてくれたのには助かる。ところが、ゲブラレセラシエの約束に大きく遅れてしまった。ゲブレセラシエは、4年前と大きく変わった。結婚、2人の娘の父親。斬新なデザインの7階、10階建て貸しビルの持ち主、ハイレ&アレム(奥さんの名前) インターナショナル社(15人勤務)、HAMMコンピューターセンターなどの社長などを兼務,多忙を極めている。アペリテイフは,蜂蜜で作られたビールのようなタッジ,これが美味い。豪勢な昼食がたちまち用意され,彼らの友人を入れて6人でにぎやかな昼食になった。 |
「4年前、アトランタで1万mで優勝すれば、シドニー五輪はマラソンで出場するつもりでいた。トラックのスピード,体力を維持するのは並大抵じゃあないと思っていた。また、この4年間,いままで低調だった長距離が、ケニヤのテガート、コーメン、モロッコのイソーらの選手と猛烈なライバル争いを演じておもしろくなった。世界記録も飛躍的に伸びた。あっという間4年間が過ぎ,マラソン転向の暇がなかったというわけです。まだまだ僕も十分にシドニーで優勝のチャンスがあると思う。アトランタ五輪で優勝したメダルは,もし、金メダルを獲得したら教会に寄贈する約束をしたので上げちゃった。だから,今度は家族のためにメダルを獲りたいね。若いミリオン、ハイルが急成長に伸びているので、世代交代時期だと考えている。そしたら,マラソン転向になんの心残りもないかと思っています。エチオピア選手は,マラソンには特別思い入れがありますからね。今年は昨年より,アキレス腱の痛みも取れて調子が良い。昨年1年,満足できるような状態で走ったことは1度もなかったんです。セビリアの世界選手権大会だって痛みがあった。シーズンオフは数ヶ月完全休養、室内レースも出場はなかった。ドイツサッカー名門チーム、FCバイエルン ミュンヘンの医者の治療を受けて手術なしで完治しました。4月にドイツに飛んで最終チェックを受け,完全回復したことを知らされました。あとは気持ちしだいで調整できますね。(居間の壁に大きなシドニー五輪スタジアムの写真が飾ってある)この写真を見ることで,シドニー五輪のモチベーションの高揚,緊張感,完璧な目的意識,集中力などを、究極的に養うためのイコンです。
今年の目標は,シドニー五輪が総べて。春先から緊張して,シーズンを迎えることはないでしょう。シドニーではマラソンを走らなくてよかった。あのコースは大変ですね。最近のマラソン高速化は素晴らしい。今年のロンドンマラソン中継をTVで見ていました。もし,ピントが独走ではなく併走者がいたら,あの日の走りなら4分台が出ても不思議ではなかったでしょうね。あのような積極的な走りをすることが,一回り大きく成長を促すのが判りますね。マラソンの記録がどこまで伸びるか、とても予測が難しいが,現在の世界最高記録が,長い間、頂点に立っていることできないでしょう。テガートもマラソン転向を考えているらしい。ピントだって、シドニーで勝,世界記録だって可能でしょう,年は関係ありませんよ。
(ハイレ・ゲブレセラシエの伝記が映画化された)ハリウッド,デイズにーランド合作映画会社が,この話しをアトランタ五輪前に持ってきたんです。撮影を始めたのは,1996〜98年間のシーズンオフ。
1回に2ヶ月間程度エチオピアで撮った。すでに,エチオピア国内では放映されました。ストーリーは簡単です。ぼくの自伝です。出演者は,ぼくを含めた女房,姉妹、親戚,友達らが出演,日常生活からジュニア世界選手権で2種目優勝,世界選手権,五輪優勝したシーンも入っています。そのうちにビデオも出るでしょう」
貰い物の巨大な額縁入りされたキリストのポスター,豹の剥製,ハイレは“ぼくが買ったものじゃあない”と、慌てて否定した。
オルデイ・メスケル博士は、ハイレのマラソン転向説をこう見る。「今でもハイレは、選手生活,彼を取り巻く環境は、いろんなことで多忙を極めている。それをこなすことは並大抵のことではない。もし,かれがマラソン転向を本気にトライするなら,いろんなことを犠牲にしなければならないだろう。それができないとマラソンは中途半端になってしまうだろうね」と結んだ。
トラックかマラソンか,慎重なツルの選択
最初のアフリカ黒人女性五輪金メダリストは、バルセロナ1万mで優勝した一児の母親デラーツ・ツル(28歳,1万m31分6秒2,マラソン2時間26秒6)は、アフリカ女性にしては息の長い選手だ。ベジョキ村の羊飼いから、クロカン,長距離,ロードレースに偉才を発揮,史上に残るキャリアを積み上げている。さしずめ“女アベベ”といえよう。これもエチオピアの社会が、選手を保護する環境,システムのお蔭だろう。エチオピア政府は,五輪優勝者には市内一等地に大きな土地を与える。それに強い選手は外国で出場料,賞金を稼ぐ。日本で車の高級車並の値段で,土地付きの大きな家が購入できる。金の価値が桁違いだ。選手は,最近だが,その恩恵を十分に満喫できる環境になってきた。ツル夫妻はその土地に大きな近代的な家をほぼ完成していた。エチオピアの女性ランナーは、物静かで非常に控えめ。まして外国人に家庭内で写真を撮らせたり,インタビューをすることは極めて珍しいこと。ロンドンマラソンレース後,アジスアベバで再会を伝えたのが良かったかもしれない。エチオピア人にしては大柄なツルの夫,ゼウデ デベバ(32歳,400,800m,10種目、エチオピア選手権優勝,現陸連コーチ),2歳の女の子,ツオイネと一緒に撮影を許すことなどは稀らしい。子供をあやすツルの表情は,幸せそのもの。新築の家も完成まじか,シドニーに向かって,すべてを傾けるママさんランナー。
「シドニーは,多分,私の最後の五輪になるでしょう。アトランタ五輪後,精神,肉体的が疲労、故障が頻繁に起きてまともに走れなかった。医者に休養を勧められ妊娠,子供を2年前に出産。走ることより育児に忙しかった。これが結果的にはリフレッシュできたんです。昨年暮から、どうやらシドニー五輪に向けて、やる気も起きてきました。そこで本格的に練習を開始したんです。世界クロカンに出場しても、4〜5位ぐらいでと思ったら優勝,ロンドンマラソンも自己新記録2時間26分9秒で6位。走り込み不足で後半ペースダウン。あの練習で、あれだけの結果を出せるという感触を掴むことが目的でした。現在は,練習パートナーのエタフェラフ・アレム(25歳,長野マラソン優勝者,自己記録2時間24分47秒,ほぼ五輪代表当確)と一緒に走り込みをしています。ここ2ヶ月の様子を見て,トラックでどのような結果を出せるか判った時点で,おのずから出場種目が決められます。1万mかマラソンのどちらが最適か,私自身が好きなものを選べます。今度の五輪は,子供のためにもがんばります」
日本選手を警戒するロバ
ファツマ・ロバ(26歳,アトランタ五輪マラソン優勝者)に携帯電話に連絡を入れると,早速,弟バチ(19歳)を日本製の大型四輪駆動車で迎えに送ってよこした。ロバは,首都から北へ250km離れたアルシ村出身,6人兄弟(男女3人ずつ)の長女。市内から南7km離れたサリスに住む。エチオピアのトップランナー全員コプト教徒だが,ロバだけは珍しく名前からイスラム教徒。本道のアスファルトから車が降りると、車幅いっぱいに、ようやく通れそうな細く狭い凸凹道をクネクネ曲がる路地を走って,小さなトタン板屋根の家の道路幅いっぱいに停車。
言葉数の少ないロバに,多くを話させるのは難しい。インタビューアー泣かせの選手の一人にであろう。アトランタ五輪前から,いつも人の背中に隠れるような、控えめで大人しい態度は今でも変わらない。政府から貰った大きな土地に建てた豪邸は、現在は一人で住むためには大きすぎるというので貸している。電話で民族衣装を着た撮影を依頼すると,すんなり快く受けてくれたのには拍子抜けするほど開放的になった。約束どおり,家の中でロバは民族衣装で着飾り,笑顔で迎えてくれた。日本からの絵皿,トロフィーなどが飾ってある。女中が,部屋に香を焚きコーヘーを部屋の隅で作っていた。
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アトランタ五輪女子マラソン優勝者、ロバ
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「ボストンで負けたのは,後半になって疲れてから身体が動かなくなってしまったから。4連勝を逃したのは残念ですが,マラソンはゴールするまでなにが起こるか判らないものですね。マラソンは,近いうちにサブ20分で走る選手がいるでしょうが,五輪で勝つことは別問題。要するに,チャンスの数が少ないから希少価値なんですね。シドニー五輪準備は,まだまだ先の話です。今度はマークされる立場ですが、私もこの4年間レース経験は積んできました。出場者全員優勝したいでしょう。私もそのうちの一人です。誰がシドニー五輪で優勝するかの予想はナンセンスですね。なかでも日本選手は,世界でも最もレベルが高くて,手強い相手でしょう。ケニヤ,エチオピアの選手も負けてはいないでしょう。世界選手権のように,全く無名の選手が勝つチャンスだってあるでしょう。マラソンに“完璧”ということはあり得ません。五輪ともなれば強敵ばかりで,簡単に勝てないでしょう。コースはまだ見ていませんが、しっかりとした練習、調整ができれば、どんな難コースだって走り切れるものです。(なぜ男の練習パートナーにしているか聞くと)、走りやすく,安心して走ることができるから」
突っ込んだ質問は止めたが,男の練習パートナーは,ボデイガードの役目かもしれない。美味しいエチオピアコーヒーを戴いてから,帰りも弟の運転で練習に行くロバが同乗、スタジアムまで送ってくれた。
ハイレは強すぎる,銀メダル狙い
アセファ・メズゲブ(22歳,5000m、12分53秒84,1万m、27分18秒28)は、96年世界クロカン選手権を16才で優勝,次の年は2位で世界に踊り出た逸材。5歳年上の兄アエレもナショナルチームのメンバー。エチオピア選手権1万mでエチオピア新記録,28分46秒(旧28分56秒)を樹立,シーズン開幕前から好調。タイムはすべて手動。レース後、撮影,インタビューを申し込むと,ナショナルチーム、エタフェラフ・タレケグネ(20歳,1500m、4分14秒)と一緒に住んでいると返事があった。次の日,朝練習後,メズゲブの運転するフランス製の小さな車で同行した。2人とも銀行クラブ在籍,250km離れたウオドゲネテ出身。2人がシャワーを浴びている間,女中がインジャラ(テフの粉で作ったスポンジ状のパン,エチオピアの主食)パスタ,肉,果物などで,たちまちテーブルが埋まった。インタビューは,昼食をしながら。彼女は,ほとんど喋らない。

メズゲブとガールフレンド
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「前回の五輪の失敗は,自分を失うほど上がってしまった。大きな大会での経験不足ですね。5000m予選を通過したのが精一杯。自分のベスト記録より40秒近く遅く,非常に残念な思い出がある。今シーズンは,世界クロカンで2位になって調子が良い。あのレースはタガートをマークし過ぎで失敗。でも,今年は調子が良い。ぼくの5000mの記録は良いが,本当は好きではない。1万mは好きだが,記録が悪い。上手く行かないものです。少なくとも五輪前に,1万mで26分50秒を目標にしたい。五輪出場種目は1万mです。ハイレが普通の調子なら,ぼくらはとてもかなわない。彼の強さは練習中から身に沁みるほど良く知っています。これも難しいですが,例えば,ハイペースで彼を大きくリードしなければ勝ち目がありませんね。最後の200mでスプリント争いになれば,ぼくは26秒,ハイレは22秒台のスピードですよ。勝負になりません。ぼくはテガートをマークします。(テーブルトップのPCについて聞くと)インターネットを使って世界中の陸上,スポーツの情報にアクセスできる。遊びながら少しずつコンピューターを習いたいと思う。ぼくはすでに五輪代表に選ばれることは確実。だが,彼女は今春800mか1500mで標準記録を突破しなければならない。4分14秒はアジスアベバでの記録なので参考にならないんです。彼女と一緒に五輪出場ができれば最高です」
恐ろしい豪雨がトタン屋根を突き破りそうな勢いで叩きつけた。われわれの会話が,その音で聞こえない。しばし中断,雨音が静かになってから,メズゲブの運転でスタジアムに送ってもらった。 |
チャ−ミングな笑顔と優勝への執念
スタジアムの前の大通りを横切ると,こぎれいなエチオピアでは珍しい立ち飲みカフェ“コスモス”がある。ウオルデイ・メスケル博士に紹介してもらったカフェの店主は、元ハイレセラシエ皇帝の栄養士。美味いコーへーの値段が,わずか1ビル(約11円)。携帯電話をここから掛ける値段と同じ。ちなみに,外国人はタクシー料金を倍払っているといわれるが,5kmほど走っても130円程度だった。もちろん,最初3倍の料金を言ってくる。ここでゲテ・ワミ(26歳,5000m,14分36秒8,1万m,30分24秒56,アトランタ5輪1万m3位,世界選手権1万優勝など)の,オランダ国籍を持つ元エチオピア国籍の???と待ち合わせ。彼等は昨年結婚した。元長距離選手でエチオピア1万m,クロカン選手権大会優勝者。1万m,28分42秒,5000m,13分38秒の記録に持ち主。2人ともアジスアベバから北へ110km離れたチャチャ村出身。ワミは2男3女の兄弟で,2番目に生まれた。走り出した動機は,10歳頃ユニフォーム姿に憧れた。15歳でアジスアベバに移り,警察クラブに入る。アトランタ五輪1万m3位の成績によって中尉に昇進。アジスの北西,アヤナに6年前から住む。夫の通訳で話す。
「アジスアベバの空気も、すっかりと車の排気ガスで汚れてきた。そこでなるべく早いうちにここを引っ越すことを考えています。クロカン練習に適している3000mの高地、市内から車で20kmの距離にあるトトと呼ばれる郊外です。五輪前にここを離れたい。私にとって,五輪はエチオピアを代表して,国,個人のために全力を尽くさなければならない最も重要な大会。五輪で優勝することが,アスリートの最高の名誉です。それだけにレースに勝つのは極めて厳しい。シドニー1万mレースでは,ツルが出るかもしれないし,ロンドンマラソンで失敗したリベイロも1万mに返ってくる公算が高いでしょう。ラドクリフ,ケニヤ勢らの誰が優勝してもおかしくはない。中国選手は?誰が出場しても,それに対処するような練習ができていれば怖くはありません。シドニー五輪でトラック競技に一区切りをつけて,来年の春かもしれませんがマラソンに転向することを考えています。われわれ選手だけではなく,一般の人達も、マラソン選手として成功できることが至上のように考えているのです。そんな血を誰もが受け継いでいるのでしょうね。中距離,長距離からマラソンに入って行くのは,エチオピア選手のごく自然なことです。マラソンを走って選手生活を終らせないと,例え,それが成功しなくてもなにか大事なものを忘れてきたように感じるのです」
ロバ以外の訪れた選手の居間には,必ず,巨大なキリスト像が立て置かれている。ワミの居間も例外ではない。信仰心が熱い国民。四輪駆動車にピッチ,ローリングの激しい道を走ると気持ちが悪くなりそうになった。 |

ワミと夫
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次代のエチオピアを背負う期待の二人と過去の罪状
いままでにこんな経験は始めて。約束は午後練習を終えてからだった。ワミの夫の好意で、市の北にあるミリオン・オルデ(21歳,98年世界クロカンジュニアで優勝,5000m、12分59秒39)宅まで車で送ってもらった。逢うやいなや,ミリオンが申し訳なさそうに、この辺り一帯が停電を伝える。真っ暗の中での撮影,焦点があっているのか全く自信がない。ミリオンは,ナショナル長距離メンバーの中で数少ないアジスアベバ出身。長男で1弟,3姉妹、父親はタクシーの運転手。運く,在宅していた母親テイエ(38歳),ラネイ(14歳),ネタネット(17歳)と一緒にベランダで撮影を済ませた。
「走り始めたのは,15歳の時から。1500mから3000障害,1万mまで走りますが、シドニーは5000mに出場の予定です。エチオピア,モロッコ,ケニヤ選手との駆け引きのレースになっても、五輪優勝タイムは,昨年のセビリアより速くなるでしょう。上位入賞を狙うには,五輪前に自己新記録を出したいですね。メダルが取れれば最高です」
滞在最後の日,早朝から始まったエチオピア選手権大会で,やっとハイル・メコネン(20歳,99年世界クロカン優勝,2マイル室内世界記録樹立)を飛行場に行く前に捕まえた。メコネンは,北へ196km離れているアイルス村出身。苦しい単純な練習に,根を上げずについてこられるのは地方の選手が圧倒的に多い。アジスアベバは今年で3年目,警察クラブ所属。
「ぼくのシドニー五輪は,多分1500mでしょう。この種目は国内での選考が難しい。若いぼくたちは,まず,監督の指導でスピード練習に重点を置きます。本格的な5000m,1万mの練習は来年からでしょう。いまは、ゲブレセラシエの練習パートナー,ペースメーカーなどで彼をサポートしながらの練習です」
慌しい撮影とインタビューを終えて,逃げるようにして飛行場に向かった。エチオピア激動の政変は,町の雰囲気,人の表情,心まで二転三転大きく変えてしまった。なにを血迷ったかメキシコ五輪マラソンで君原選手と激しく争い優勝したウオルデイ マモは、殺人罪で投獄された。金,2つの銅メダル獲得者のマモは,英雄ゆえに逃げ場のない目撃者がいたのだ。モスクワ五輪5000m,1万m2冠の覇者、驚異のラストスパートの持ち主ミルツ イフター、モハメッド ケデイール(モスクワ1万m3位)らは、旧政権における過去の罪状を問われ,身の危険を感じてカナダに逃亡した。人が人をお互いに監視していた社会から開放され、明るい表情を取り戻してきた史上最強五輪チームの活躍を期待しよう。
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