![]() |
【世界新記録で世界選手権優勝を狙う!?ファゼカシュ時代到来か】 |
円盤が史上70mを超えたのはわずか36回だけ。これまで全く目立つことのない68m09の選手が、昨シーズン大きく躍動した。無冠の男、ロバート・ハゼカシュ(27歳、ハンガリー)は、地元ゾンバッテリー大会で歴代4位71m70の好記録を樹立。欧州選手権で五輪優勝、歴代2位の記録保持者のアレクナを抑えて優勝。24年ぶりにシュミット(東ドイツ)の大会記録66m82を塗り替えてキャリア初タイトルを獲得。続く、ワールドカップでも71m25を投げ、アレクナの大会記録69m66を更新して優勝。史上70mを2試合越えた11人目の選手になった。
昨季18戦、その半分以上が自己記録(68m09)更新した安定度、16勝2敗の勝率を誇る実力を示した。この実績で米誌T&Fニュースは、昨季、陸上界で活躍した選手ランキングに、エルグルージュ、ハヌーチ、サンチスの次にファゼカシュを抜擢した。世界記録を17年ぶりに書き換える可能性に最も近い選手だ。昨年の暮れも押し迫ったハンガリーの首都ブタペストで、「2002年ハンガリー・スポーツ大賞表彰式」を取材。 その翌日、ゾンバッテリーで所属するクラブ「ホラディシュ」を訪れ、マイナス15度の雪に覆われた投擲フィールドで中の冬季練習を取材した。 10年の努力が実った欧州選手権初優勝 フライトは夕方予定通り5時半ブタペストに到着した。夜の闇にも一面雪景色。 車を駆って市内の"ブタ"(ドナウ川を挟んで市の西側を呼ぶ。ちなみに東を"ペスト")側の"ブタペスト コングレス センター"に急ぐ。ここで開催される「2002年ハンガリー・スポーツ大賞表彰式」を取材するためだ。ライトアップした正面は、次々に到着する正装した人で一杯。心配した招待状も、ハンガリー・ジャーナリスト協会が受付に用意してくれていたのはありがたい。セレモニー開始は7時から、晩餐会も始まる。欧州の言語でも特異な存在のハンガリー語は、ひと言も理解できないハンガリーダンスの余興を観劇しながらプログラムが進行した。 最後に、大男2人と小さな男の3人が壇上に登場した。小さな男は、地元で開催された体操世界選手権大会吊り輪で優勝したジルヴェスツア・ショラニ。「2002年ハンガリー・スポーツ大賞」を受賞した。欧州選手権で優勝したロバート・ハゼカシュ、練習仲間、ハゼカシュと同じく今季急成長した室伏の良きライヴァル、ハンマー投げのアドリアン・アンヌシュ(29才)らの二人も特別賞を仲良く分けた。壇上から降りてきたハゼカシュとアンヌシュに「おめでとう!」と声を掛け記念写真を撮影した。 撮られるのが恥ずかしそうなハゼカシュ。フィールド内と対照的な笑顔だった。 ハゼカシュは「小さい選手が大きなカップを貰ったが・・・・、われわれは小さなものだけ(笑う)!アドリアンもぼくもこのような賞を受けたのは初めてのこと。総て今季は最高のシーズンだった。これも10年以上の努力の結晶です」と嬉しそう。アンヌシュは「ロバートと一緒に表彰されるのは大変に嬉しい。種目は違うが、友人、同じクラブの同僚として、お互いに努力、励ましてきたのが報われました」と、柔和な笑顔で楽しそうだった。 ハゼカシュは「今夜10時ごろゾンバッテリーに帰るので、良かったらぼくの車で一緒に行きませんか?」と誘ってくれた。そこでかれの好意に甘えて、ロビーで待つことにした。やがて、ハゼカシュはかれのコーチ、元ハンマー投げ選手のジョゼフ・ヴィダ、ジャ―ナリストを伴ってきた。 外に出ると吐く息が真っ白い。ハゼカシュの白いベンツは、凍てつく満月の雪景色に浮かぶ高速道路を、スロット全開最高180kmの高速で突っ走る。ハゼカシュは「非常に疲れた!」といったが途中で一度休憩しただけ、240kmを2時間で走破した。 雪原のフィールドで投擲練習 約束の時間に、ファゼカシュが白いベンツでホテルまで迎えにきてくれた。前席に座っていたアンヌシュと共に、かれらの所属する市内の「ホラダッシュ」クラブに向かう。 ロバート・ファゼカシュ(193cm、105kg)は、人口10万人のゾンバッテリー生まれ。ここからオーストリアの国境まで近い。 10代からずば抜けた身体能力で"怪力"少年だったと言う。このクラブは、1919年国営鉄道スポーツクラブとして創立された由緒ある総合クラブだ。サッカー、陸上は別のスタジアム。施設こそ目を覆うばかりのガラクタだが、投擲練習場は別に2面ある。クラブハウスで着替え、小川の向こう側にある投擲専用競技場までザクザク雪上を歩く。太陽が出ているが、雪はカチカチに凍っている。練習場の脇に古い建物がある。中は暖房がよく効いて暖かい。 部屋の隅にたくさんの使い込んで錆付いたハンマー、砲丸、円盤、バーベル、ダンベルなどが転がっている。スキー帽を被ったヴィダ・コーチもやってきた。クリスマス休暇で帰国したアメリカ留学しているハンマー投げの選手、バーバラ・シュガーが通訳をかってくれた。 軽いストレッチングを済ませると、ハゼカシュは小屋から一歩出て金網のケージに入る。壁にチョークで現世界記録「74m08」が大書してある。サークルに入ると、この数字が自然に眼に入る。女子用の砲丸を円盤投げスタイルで投げ始める。 1回投げるごと砲丸を拾いに行く。歩きながら「5年前の冬、コージ(室伏)がここで練習にきたんですが、なにを勘違いしたか冬用のトレーニングウエアーを持参してこなかった。寒さに震えて練習もできなかったのを覚えている!」と言って笑った。何本投げただろうか、ターンして投げ始めるとTシャツ1枚になっての熱投だ。アンヌシュも、遠くの方で重そうなものを繰り返し雪上に投げている。 ハゼカシュは練習に区切りをつけると暖房の部屋に戻りながら、突然、ハゼカシュは「アンヌシュの練習が終わるまで話そうか?」と切り出した。その後、場所換えしたウエイト練習中、レストランで昼食をとった前後して話したことをまとめた。 ワールドカップ前、練習で世界記録を破る ―この寒い日にスローイングとは驚きました。それも砲丸を投げた! ハゼカシュ―そう?寒いからと言って投げるのをやめることはない。まだまだ、今日の練習は軽いんです。 ―冬季練習はいつから始めたのですか? ハゼカシュ―2ヶ月間オフ期間をとって、4週間前から始めました。 ―あの砲丸を投げる練習の目的は? ハゼカシュ―この時期は重いものを投げて基礎体力をつけることが大切。 ―昨年のこの時期と比較して、現状はどうですか? ハゼカシュ―今のほうが遥かに体つくりが進んでいて調子が良いですね。 ―今季に期待できますね? ハゼカシュ―まだ、シーズンまで時間がありますよ(笑い)。言えることは、少なくとも昨年今ごろより自信があります。 ―外の壁に現世界記録74m08が大きく書かれていますね。あの数字を越すのは今季の目標でしょう? ハゼカシュ―もちろん、世界記録を破ることができればいいでしょうが、今年最大の目標は世界選手権で優勝すること。そこで世界新記録を出して優勝すれば最高でしょう。が、そんなに巧くことが運ばないでしょう。コンディション、風の方向によっても大きく左右されますから『運』も必要です。しかし、それにはまずコンスタントに『70m』を投げることが目標です。 ―昨年のワールドカップ大会前の練習で世界記録を越えたと聞きましたが・・・? ハゼカシュ―越しましたね。ワールドカップ1週間前、ここで練習中に投げたのを計測すると74m70ありました。もし、ワールドカップ大会でサイドからの風がなければ、調子が良かったですから世界記録を更新できた可能性はあったでしょう。 選手生命に関わる背筋を痛め手術、2年間のブランクから復帰 ―陸上競技を始めたのはいつ頃ですか?動機は? ハゼカシュ―14歳ごろかな?子供の時から"腕力"だけはずば抜けていたから、投擲種目を始めたに過ぎません。あのころ試合に勝つことも簡単でした。 ―14歳ごろから投擲一筋、他のスポーツは? ファゼカシュ―待ったくしたことがありません。 ―ハンガリーでは、経済的バックアップを受けて競技生活を継続することができるのですか? ハゼカシュ―昔はどうか知らないが、われわれの時代では、合宿とかの費用が少し出たりするだけで、多くの場合は個人負担です。 ―プロ選手になれたのはいつからですか? ファゼカシュ―2002年ぐらいからです。ハンガリーではスポンサーを探すのは非常に難しい。それまでは両親のサポートがなければスポーツを続けることはできません。 ―円盤、ハンマー投げの両種目をしていたと聞きましたが、なぜ円盤投げひとつにしたのですか? ハゼカシュ―ハンガリーの投擲は伝統的に世界のトップクラスです。投擲に興味を持つ人たちの多くは、当たり前のことですが大きな連中ばかり。そこで10代の選手にはいろんな種目をやらせて適性を見つけるのです。だからぼくはハンマー(98年、75m33)円盤、アンヌシュはハンマー、砲丸投げ、もちろん円盤投げも経験しているはずです。ハンガリーでハンマー投げ選手は世界一の層を誇ります。ゲチェック、キシュ、アンヌシュ、ファビアン、ネメツらが目白押しでした。ですから、ぼくが円盤専門になったのは、ハンマー投げで代表になることも極めて難しいと考えたからです。円盤投げはぼくの特徴を延ばす可能性があると判断しました。 ―コーチの薦めですか? ハゼカシュ―いや、自分で決めました。 ―投げ始めたのはここのクラブからですか? ハゼカシュ―そうです。 アドリアン、バーバラとは12年前からの知り合い。兄弟のようなもの。しかし、ある時あるコーチの勧誘でかれの新設クラブに移籍して練習をしたのですが、いろんな問題で巧く行かず、シドニー五輪後からまた"ハロダシュ"に戻ってきた分けです。 ―練習で事故を起こしたと聞きましたが、いつのことですか? ファゼカシュ―95年、20歳の時です。ウエイトトレーニング中に、背筋を故障して手術を受けました。94年、ジュニア世界選手権大会で6位に入賞したので、これからと意気込みが上がっていた矢先の事故です。最初の1年間は身体を動かすのも大変、2年目ハリハビテーション。この2年間のブランクは大きかったですね。 ― 選手生命が絶たれたと思わなかったですか? ファゼカシュ―ぼくはポジティヴに考える性格なので、そんな考えは全くもたなかった。ただ、なんのスポーツができなかったのがきつかった。 ―復帰してから1年後、98年欧州選手権で4位、99年セヴィリア世界選手権で11位なりましたね。 ファゼカシュ―あのころは順調に伸びてきたころ。ブタペストは地元の利(笑う)で活躍ができた。セヴィリアはもう少しできると思ったが・・・・予選を最下位で通過(62m79)、決勝も61m71で11位。あの年自己最高記録が64m92だから、多分、あんなものでしょうね。 ―シドニー五輪で予選落ちはなぜですか? ファゼカシュ―予選通過の自信があったが、なにしろ五輪出場は初めてのこと。上がってしまい最初の1、2回とも硬くなりファオル、3回目はさらに酷く61m76しか投げることはできなかった。これじゃあ予選落ちするのも当たり前です。実力がまだ伴わなかった。 ―エドモントンも予選で最初の2回ファオルして、3投目が53m73で予選落ち。腐ったでしょう ファゼカシュ―(苦笑しながら)最悪のパターン! でも、ものごとを簡単に根を挙げるような性格じゃあありません。その点はタフです。95年の故障、手術後でも、また、今回の失敗も決してモチヴェーションを失うことなく、忍耐強く、与えられたチャンスに掛けてきました。われわれは競技に100%以上の情熱を注ぎ、高い目標達成にディシプリンある生活を続けています。一試合ごと、毎年、自分に『いつか努力の報われる』、『ぼくの時代』がくることを信じてきました。 ―大試合で失敗の原因は? ファゼカシュ―精神的なタフさが掛けていたと思います。しかし、それまでの失敗から学んだことが多く、ここまでにくる過程で必ず一度は誰もが苦い経験をするのは必然的なものです。あの程度の自己記録では本当の意味での自信にはならないのです。いろんな要素が噛みあって、始めて大試合に微動しない精神的なゆとりで持てる力を十分に発揮できるのです。 ―昨年、それまでの自己記録を3m61と大幅に伸ばして、史上4位の71m70投げました。なにがブレークした原因ですか? ファゼカシュ―2年ぐらい前からグ〜ンと、70mラインに近付いたような感触を得たようです。昨年の冬季練習から「今季こそブレークできる!」というような感じがしていたことは確かです。5月に69m以上を投げて幸先良いシーズンを開けることができました。これでかなり気を良くして、確かな『行ける!』自信がつくのが判ります。コンディション、テクニックにそんな大きな変化がないのに精神的な余裕が出る。これが好記録を生んだ最大の理由でしょう。 ―ヴィダ・コーチが就任してから、あなたもヤヌッシュも昨季大変身しました。 なにが変わったのですか? ファゼカシュ―(ウ〜ン)素晴らしいコーチですね。アドリアンもぼくと似たような経験がありますね。凄い自己記録、実力がありながら、大試合に良い成績を全く残せなかったのですから、同じような弱点をコーチが訂正してくれたのです。練習とかスローイングの技術が大きく変わったとは思いません。日常の練習で適切なアドヴァイス、精神的なバックアップから競技への自信が徐々に生まれ、試合に自分のペースをキープ、プレッシャーに対処できるようになったのです。 ―トップクラスの選手の身長は2mを越すが、あなたは比較的小柄です。身体的な不利と思いませんか? ファゼカシュ―確かにぼくは、リーデル、アレクナ、クルーガ―らと比較すると小柄です。しかし、手が長いほど有利である証明にはなりません。瞬発力、ターンのスピードが非常に重要なファクターです。円盤投げの生命は「スピード」と「パワー」です。円盤投げ選手の才能は、長身、パワー、瞬発力、技術の習得能力があれば大成するでしょう。 ―記録を見ても、一人の選手がコンスタントな記録で投げることは極めて難しいことですが、 それほど微妙に変わるものですか? ファゼカシュ―変わりますね。わずかの狂いが、手を離れた瞬間から着地点まで大きく変わります。それと風の方向でしょうね。瞬間的なモーションの微妙な差、風によって円盤の角度が異なり飛行距離に差が出るからです。ですから、一発引っ掛かっても、同じような状況が再び作れないような試合はままあります。 ―スピードとパワーをつけるための特別な練習はありますか? ファゼカシュ―どうですかね?ぼくの場合は天性の瞬発力とパワーものと思っています。巧く説明できないが、とにかく生まれ持って「怪力」でした(笑う)3年前ですが、今はパワーをつけるための練習をしていませんが、ベンチプレスで230kgを挙げました。ターンする時は瞬発力が必要です。練習である程度速くなるでしょうが、天性の瞬発力で遠心力の速さ、さらに努力しなければその才能を開花されないでしょう。 ―シュルツが世界記録を出して以来、これまで技術的な改革がありますか? ファゼカシュ―技術的な開発があったかどうかも良くわかりません。ぼくの場合は、今のコーチは非常に良いのでかれを信じて練習することが最適だと思います。シュルツ、リーデル、アレクナらの世界的な選手のテクニック、練習法など、学び取り入れようとしたことは一切ありません。興味もありません。ただ、自分にあった練習法、テクニックと信じて練習しているだけです。 ―今季のライヴァルは? ハゼカシュ―アレクナな以外に考えられません。円盤投げの世界は、突然新人が現れるような競技ではありません。才能と努力で時間を掛けて成熟するものです。ぼくが記録を出してきたので、むしろ、今季かれのやる気を十分に刺激したでしょう。かれが本気になって練習をしてくると思います。まだ、引退する年ではありません。リーデルは限られたものに調整してくることはできてもシーズンを通しての活躍は難しいでしょう。 ―最初の試合をどころから始める予定からですか? ファゼカシュ―2月ごろから数週間クロアチアの地中海沿岸で合宿してから、多分、3月に南アで数回試合に出場する予定です。 ―活躍を期待しています。 世界新記録の可能性は十分にある ジョゼフ・ヴィダ(40歳、元ハンマー投げ選手、最高記録79m06、1984年) ―いつからロバート、アドリアン選手のコーチを始めたのですか? ヴィダ−98年わたしはハンマー投げの現役から引退。99年にも少しコーチをしたことがあるが、これは短期間で止めた。正確にはシドニー五輪後かな?これといって特別なことはしていません。前のかれらのコーチは64歳の人だった。わたしは40歳。かれらの年齢に近いしコーチというより友達です。かれらにとってもコミュニケーションが楽にできるはず。試合中に持てる力を十分発揮できるようなアドヴァイスをしてやることです。 ―しかし、元ハンマー投げ選手が円盤投げ選手をコーチすることに難点はありませんか? ヴィダ−わたしが現役の時、友人のホラヴァス(東京世界選手権、円盤投げで3位、65m32)と言う円盤投げの選手がいた。かれとなん年も一緒に練習したので、実際に投げたことがなくても円盤投げのコーチはできますね。ここでは砲丸のコーチもしています。 ―コーチに就任した時、なにが必要でしたか、 ヴィダ―自信回復です。ロバート、アドリアンらは、練習では悪くないのですが、試合の結果が悪い。自信喪失、自分達の力を信じることができない状況だった。シドニー、エドモントンでも、ナーヴァスになり自滅したのです。 ―ハゼカシュの才能をどう見ますか? ヴィダ−生まれ持った稀に見るパワフルな選手です。もちろんそれだけで大成はできませんが、さらに努力の選手です。身長は円盤投げの選手としては大きくはないが、生まれ持った瞬発力を生かした高速ターンが特に優れている。27から28才の年齢的な熟し、パワー、高い技術、精神的な充実の3つの要素が巧くバランスが取れている選手です。 −昨シーズンのハゼカシュ大ブレークの要因は? ヴィダ−やっと、世界一流選手に成熟する時期、かれの時代がきたということですね。今までの国際試合経験から得た諸々の知識、心理、精神的な成長などあって、ようやくかれの年齢になって始めて、天性の才能に努力がブレンドされて報いられたのです。 特別な練習、技術の習得、パワー、スピードがついたというものではなく、色んな要素がバランス良くひとつにまとまった結果です。 −かれが世界記録を破る可能性は? ヴィダ−怪我、事故がなければ世界記録を破る可能性は十分あるでしょう。ひとつ確かなことは、ロバートは昨年の今ごろのできより遥かにできが良いのです。また、現在のロバートは昨季と大きな違いは精神的な強さ、自信でしょう。今季、最大の目標が非常に高い明確なモチヴェーションを持っています。かれに必要なのは、パワーとか技術的な問題ではなく、現在の状況を維持しながら最高レヴェルの国際試合、風向きがピシャリと合えば世界記録更新の可能性は十分ありますね。 −ヤヌシュも大きく成長しましたね。 ヴィダ−昨季、2人が同時に大きく成長して、最大目標であった欧州選手権を獲得したことは望外の喜びです。欲を言えば、アドリアンがコージ(室伏)にGPファイナルで負けたこと。(笑う)二人の共通する大きな成長は、精神的な著しい成長、自信の裏づけがあってのものですね。潜在能力があっても、大きな試合で戦うためには、精神的な強靭さがなければ内外からのプレッシャーに絶えられるものではありません。かれら二人は実力がありながら、大試合に弱かった原因でした。2人は長年素晴らしい練習パートナー、友人として強いディシプリン、相乗効果で大変身を可能せしめたのです。 |
(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2003年2月号掲載)
【 return to home 】【 return to index 】【 return to published articles-index 】 |