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【ギリシャの国民的英雄、ケダリス不敗神話説がアテネ五輪まで続くか!?】 | ||||
ギリシャはヨーロッパの東部、バルカン半島の南先端に位置する。国土は日本の約3分の1の大きさで、人口は約1000万人の小さな国だが、"古代ギリシャの生んだ哲学、科学、文学、美術はヨーロッパ文化の重要な源泉の一つとして人類の深甚な影響を与えている"(広辞苑)英語、ラテン系言語、アルファベットや単語の多くは古代ギリシャ語からきたものだ。 ローマ帝国支配から、オスマントルコ帝国に400年間の長期に渡り支配されたが、1829年独立王国となった。その後、共和国、王政復古、軍部独裁、共和制に復帰、現在に至る複雑な歴史がある。ギリシャ神話の最高神ゼウスの祭礼時に行なわれたオリンピア競技は、近代オリンピック大会の原点でもある。 第1回近代五輪アテネ大会が開催されたのは1896年。04年大会は、近代五輪発祥の地、アテネにマンモス大会となって里帰りする。 そこで、ギリシャ陸上トップ選手、コーチらをアテネ、トリカラで国内選手権、フフローレンスでユーロピアンカップ大会を取材した。 紺碧のエーゲ海の島に生まれた天才スプリンター コンスタティノス・ケデリス(30歳)は、自らも予測できなかったシドニー五輪男子200mで劇的な優勝者。 第1回アテネ五輪マラソンで優勝したルイス・スピルドン選手依頼、1世紀以上も待望した奇跡的な快挙だった。金メダル獲得後、急変した生活にもかかわらず、エドモントン世界選手権もアッサリ優勝。昨年欧州選手権決勝レースで19秒85の激走で文句なしの優勝。 しかし、年間レース出場は極端に少なく、通常の国外GP出場はしない。国のユニフォーム着用で国外競技会に出場するだけ。大きなタイトルにピーキングを持ってくる巧妙な調整、勝負強さで国内に「ケデリス不敗神話」が築かれつつある。また、やっかみもあろうが、とかくあらぬ噂がギリシャから世界中に飛び交い話題も多い選手だ。 −今日のレースで今季2勝目。シドニー五輪依頼200mで不敗。また不敗神話説が強くなった? ケデリス−(丸い大きな目玉が笑っている)う〜ん、不敗神話とか言うのはマスコミの人たちが作り上げたイメージでしょう。われわれ選手は、どのレースもベストを尽くして走るのが仕事。その結果が勝敗に決着がつくだけです。 −今日のレース(フローレンスで開催されたユーロピアンカップ大会)の印象は? ケデリス−調子は悪くないので、もう少し良い記録が出ると思っていたが、最後の20mで強い向かい風になって身体が浮いてしまった。今の段階でアレだけの記録(20秒37)が出れば、調子は順調に仕上がっています。 −第8コースで、5コースのクリスチャン・マルコス(英国)が気にならなかったのか?
ケダリス−あの故障はサロニキの大学生のころ。ジュニア世界選手権(注:92年ソウル大会200m21秒10で6位、400mは出場取り止めている)、欧州選手権などで、そこそこの結果を出しているので、これからと言う時に左内股の筋肉を切断。リハビに3年間、治ったと思ったらまた故障したので一時は再起不能とまで言われました。 −もともと200と400mの両種目に出場していたのが、99年から200m1本に絞ってきた。なぜですか? ケデリス−サロニキ大学体育部卒業後、96年アテネに移りました。そこでぼくの3人目の現コーチ、クリストス・ツエコスの指導を99年から受けるようになったからです。コーチはぼくの走りは400mでは重過ぎるので、200m1本の転向を奨めてくれたのが結果的に大成功です。 −感触は? ケデリス−200m1本に絞ってから、最初の大きなレース00年のユーロピアンカップの200mで3位に入り、かなりイイ手応えが出てきましたね。あれでかなり自信が出てきました。でも、五輪で準決勝通過した時、決勝はうまく行けばメダルかな?程度に考え、優勝するとは思いませんでした。 −シドニー後、連続優勝が続いていますね。 ケデリス−人は誰もが勝敗には勝ちたいもの。しかし、連勝を続けるのも非常なプレッシャーです。いつかは連勝が途切れる時は必ずやってくる。(笑う)運命の日まで、自分のベストを尽くすだけ! −そして、昨年の欧州選手権で念願のサブ20秒も果たしましたね。 ケデリス−そのうちに出ると思っていましたが、記録はいろんな条件がうまく合わないと出ないもの。決勝レースで良い走りができたので19秒85が出たんです。 −あなたのポテンシャルはまだ先ですか? ケデリス−それはわからない。記録はその日の身体、天候、風の方向のコンディションなどによっても大きく左右されます。しかし、レースは勝つことが非常に重要で、また、それが究極的なもの。記録より勝負が最も大切でしょう。 −シドニー五輪後、急変した生活環境と思われますが、空軍に入隊した経緯はなんですか? −五輪優勝は、ぼくを取り巻く生活環境、今までより広い世界にも接するチャンスが生まれ急変しましたが、根本的にぼくが変わったとは思いません。ギリシャにはスポーツ選手が五輪スポーツメダル獲得者と世界選手権大会優勝者に限って、それも選手の意志によって選択、入隊できる象徴的な"士官"が存在します。これはわれわれにとってこれは非常に名誉なことです。ぼくも同僚のカテリナ・タヌー(足の故障のためドイツで治療中)も空軍を選択しました。しかし、われわれが空軍に勤務するような義務はなく、あくまで象徴的なものです。 −アテネ五輪をどのように迎えますか? ケデリス−残り1年、ベストを尽くします。
タヌーは12歳ごろから指導を始めているが、ケデリスはシドニー五輪約8ヶ月前からだね。この3名がぼくの選手。これ以上の選手指導は無理だね。タヌーとも話したいらしいが、残念ながら故障のためドイツで治療を受けているが、世界選手権には間に合うだろう。 わたしのところにくる前のケデリスは、200、400mの両刀使いだったが、最初のころの走りは重く400m向きではないと判断、200m1本に集中するように指導してきたのが成功した。かれはギリシャの神々が授けてくれた天才スプリンターさ!(笑う) 92年ジュニア世界選手権200mの優勝者は、あのボルトンが20秒63、ケデリスは21秒10で6位だった。要するに、少なくともジュニア世界選手権決勝進出の才能がなければ、世界的なスプリンターに成長する可能性はないということです。 スプリンターは素材が総てさ!しかし、この2人を比較するとおもしろいことが見える。ケデリスは遅咲き選手だが、ボルトンはすでに引退近い選手だ。ギリシャ陸連のシステムは、過剰にレース出場する選手を保護することができる。ケデリス、タヌーらは、生涯名誉士官として空軍の恩恵を受けるので、生活が完全に保証されている。金には困らないので、金のために走らなくてもいいんだよ. ボルトンはついに生涯五輪メダル獲得はできず、97年アテネ世界選手権の200m優勝だけに終わっている。このことはボルトンが世界中のGPで走りまくり、精神的にも肉体的に消耗したからだと思う。 スプリンターの筋肉、感覚もフレッシュで、鋭利な状態でキープするには、年間のレース数、シーズンを短期間にすることだ。 今年のケデリスのシーズン開幕としては、まずまずの調子だね。数週間前、ケデリスは軽い故障があったので、練習プログラムが10日ほど遅れている。世界選手権大会前に、外国のGPに出る予定だったがこのままではどうなるかわからない。今年の世界選手権は、そんなに重要とは思っていない。 それよりは来年の五輪さ。 200m決勝の日の切符は販売と同時に完売したと聞いている。ギリシャ国民の期待に応えることは、われわれが今まで経験したことのない異常なプレッシャーが重くのしかかることだろうと思う。 (3〜4月に掛けて中東のカタール合宿について矛先を向けると、なんで日本人がそんなことを知っているかといった表情で)われわれにやましいことは全くない!!しかし、日本じゃあどうか知らないが、新聞を売らんがためのスキャンダラスな記事を捏造するジャーナリストがギリシャにわんさといるのさ。そこが発進元でニュースが世界に飛ぶ。 われわれはカタールに観光に行ったんだよ。(エッ!と反応すると)カタールに観光に行っても悪くはないはずだよ。その後、キプロスで合宿した。このことは協会が理解しているはずだ。(この件を協会ヘッドコーチのパパトリスに向けると、かなり違う話だった)ところで20秒03の記録を出した日本人はどんな選手だい?かれとケダリスが五輪でメダルを分けるのもいいね(笑う)」 それにしても、ギリシャの投擲選手は、コーチと一緒になって明日があるのに、夜遅くまでタバコをスパスパ吸い、ビールをガブガブ遅くまで飲んでいた。 |
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(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2003年8月号掲載)
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