【男女ハンマー】

ポーランド男女ハンマー投げを制する
シモン・ジョルコフスキ、カミラ・スコモフリスカ


シドニー五輪男女ハンマー投げ優勝者の2人は、絶え間なく続く祝勝会に出席,3ヶ月間全国を飛び回った。やっと1月の始め,寒い,暗い長い夜の中央ヨーロッパの冬を避けて、南ポルトガルの町ヴィラ・レアル・ド・サントアントニオに避寒合宿。ここはポーランドと気温差20度があると言う。12月に結婚したシモン,学期末試験の予習をしながら練習に励むカミラ。基礎体力養成に,一日2回の練習に6時間を費やしている。 五輪は4年に1度の巡りに勝利者を選出する。それだけにドラマテイックなシーン,展開が暫し起きる。シドニー五輪ハンマー投げは、男女と共に伏兵ポーランドが初優勝。シモン・ジョルコフスキは、『雨
』を見方につけた。カミラ・スコモフリスカは初代女子ハンマー投げ優勝者になった。かれらのシドニー五輪を聞いてみた。

雨を味方に

あなた方の勝因は?
シモン ハンマー投げには,幸い、ミカエル・ジョンソン、マリオン・ジョーンズのようにずば抜けて強い選手はいない。決勝進出を果たした12名の選手全員,誰が勝っても不思議はない接近した実力を持っている。ぼくが予選 通過した選手から優勝の可能性が最も近い選手は、アスタプコヴィッチかコージではないかと思った。アスタプコヴィッチは大きな大会の常連、百戦錬磨のヴェテランだ。1投で80m近く投げて予選通過。内心凄いと思ったね。我々のグループAは,4人が予選通過した。特に,コージは優勝を狙える実力者。記録は定かではないが、五 輪10日前に横浜で81m以上投げて絶好調。昨シーズンのコージは,ライバルをことごとく破って不敗でしょう?ぼくはなに色のメダルでも良いから獲得出きれば上出来と思っていた。決勝の日,選手村で雨が降っているのを見て,思わず『雨だ!ついている!』と思ったね。ぼくの最高記録81.42mは,雨中の中ポーランドで出したもの。ポーランドは雨も多く,サークルの中が多少濡れていることに慣れているからね。それでもぼくは2度目のウオームアップに転倒。少しナーヴァスになりました。いまどきジンクスを信じる人は少ないだろうが,バルセロナ,アトランタ五輪ハンマー優勝者は,どう言う訳か24歳の選手が勝っています。シドニー五輪決 勝に残った12名の選手で、24歳はぼくと4位になったテイクホンだけだった。二度あることは三度あると言われます。今度もまたジンクスが当たった。ぼくが勝ってハンマー五輪優勝者は、連続3人が24歳の選手だった。 (笑う)

国歌に燃えた高校生

カミラ わたしの場合、世界記録保持者のメリンテがドーピング検査で不出場が決定しました。あの時点で始めて メダル獲得に楽観的なほのかな希望が出てきました。わたしも雨天の予選は全くに気になりません。予選を終った段階で,わたしの記録は66.30mで3位。昨季,メリンテをなんども破ったクゼンコファがダントツの記録でしたが,全体的に,ドングリの背競べですね。3位のチャンスも無きにしもあらずと『チラッ』と頭に浮かびましたが、優勝争いは他人事でした。決勝戦の1投目が,ちょっと気負いすぎてファウルでしょう。良いスタートではありません。2投目が66.33m、この記録ではとてもメダル獲得は無理と思いましたね。わたしが3投目のウオームアップを始めたころ,50km競歩表彰式が始まり,ロベルト・コジェニョフスキのためポーランド 国歌がスタジアムに流れました。国歌演奏と共に国旗が静かに上がるのを見ながら感激しました。胸にジーンときました。あれで刺激され,奮起,燃えましたね。3投目が71.16mの優勝記録。優勝できたお蔭には,ロベルトの表彰式のポーランド国歌演奏に負うところがあります。試合後,ロベルトには丁重にお礼を言っておきました。

何投目で優勝を確信できましたか?
シモン 最後のイタリア人のヴィゾーニが投げ終わるまで、80.02mで優勝できるなんてとても思えなかった。や はり雨が影響して,ライヴァルがバランスを崩した投げ方が多かった。ぼくの2投目が良い形で投げられたので80を越したかと思ったが,意外に伸びなく79.87mでした。最後まで気になっていたのは、徐々に記録を上げてきたアスタコヴィッチです。かれの実力を良く知っているいるので一発が怖かった。

カミラ 結局、3投目以降は、いつクゼンコワに越されるか長い間ヒヤヒヤしていました。あの心境は嫌なものですね。なるべくほかの選手の記録を気にせず、自分の投げに集中しようとしてもこれがなかなかできません。

ハンマー投げは繊細な競技

シモンはアトランタ五輪に出場,今回で2回目。マイペースで投げられたのではないか?
シモン 五輪決勝戦は、何回経験しても緊張の連続です。しかし、ぼくは他の選手を無視、完璧な集中力をキープ するように努めました。ぼくはアトランタでは,鼻っぱしの強い20歳だった。予選1投目77.64mで通過。 この記録はキッシュの78.34m、ヴァイスの77.84mに次ぐ記録だった。決勝戦のウオームアップ2投目が80 mを越した。いい気になって『オレの実力を見せてやるぜ!』と息巻いて鼻息は強かったが,根本的な実力,精神力,経験などの総てに欠けていました。五輪への準備,対策がしっかりできていなかった。決勝の1投 目が76.30mが最高記録、10位でした。ヴェテラン選手でも、五輪の重圧に屈するケースは珍しくありません。シドニーでコブス、デイール、ヴァイスらが予選落ちしています。五輪後ドーハで行なわれたグランプリファ イナルでは、かれらは開放されたように好記録を続出しました。
ぼくはハンマー投げという競技を,棒高飛び,110hと同じように難関のものと考えます。複雑な動きが微妙に絡むので,ひとたびモーションを動かすと,わずかなミスでも調整が不可能になってくる。繊細な種目だけに,極 度な緊張,慎重のなかにも豪快さを必要とする。端的に言えばいやに難しいスポーツですね。コージが雨に泣いたということも良く分かります。微妙なことで,選手の心理に影響を与え、当然、記録にも大きく左右されるからで す。

あなた方は、スポーツ心理学のカウンセリングを受けるますか?
シモン、カミラ 当然です。われわれは年わずか数回で充分ですが、心理治療を受けます。前にも言ったように、 競争はますます激しくなってきました。世界トップクラス選手の練習、技術、パワー、スピードに優劣の差はないで しょう。ミスは許されません。そこにスポーツ心理学が必要になるのです。

南ポルトガルはスペイン国境線をリオ・グアデイアナが流れる。ヴィラ・レアルと省略して呼ばれる人口1万人程 度の漁船造船場として発達した町。そこに陸上競技場、投擲専用フィールド、クロカンコース、サッカー場、テニ スなどのスポーツセンターがある。ここには北欧、ロシア、ポーランド、フランス、英国から、春先のいろんなスポーツ合宿場としての盛んなところ。ポーランドハンマー投げ集団は、ツボルスキ(65歳)コーチ、フィジオ、選 手4人の構成。宿泊ホテルからスタジアムまで徒歩5分。女性のカミラは1人部屋だが、身長190cm、軽く体重 100kgを越す大男3人は並のツインルーム。部屋が小さく見える。

金メダルのパワーに困惑

五輪優勝者歓迎ムードはどうでしたか?
シモン 予想を遥かに越えた連日各地で熱狂的な歓迎を受けました。五輪金メダルのご利益は、金メダリストでなければ経験できない強烈なものですね。われわれがここに来て始めて、やっと祝勝パーテイ―、公演、電話、携帯、ファックス、ファンレターなどの、公的義務から開放されたのです。われわれの応対が難しいのは、対応ひとつで良悪のイメージが一人歩きする危険性があります。ひとつの祝勝パーテイー出れば、ひっきりなしの招待を断 わるのは難しくなります。金メダルと引き換えに、プライヴァシーは完全になくなりましたね。五輪優勝は、好む とも好まずとも、物凄いパワー、マジックがついて廻るものです。

カミラ シモンと同じハンマー投げで優勝したので、かれとも方々に招待されました。始めのうちは祝勝会も楽しかったのですが、次第に疲れてきましたね。帰国後丸2ヶ月間学校に行くこともできず、校長先生が学校もぜひ来 てくれと言ってきたほどです。本当に疲れました。われわれの自由、人権は認めてくれません。ここに来て誰からも束縛されず、本当にホッとしました。

政府からの報酬は?
シモン シドニー五輪でポーランドが優勝した選手は総勢7人。政府から功労賞として1人2万ドル、副賞7万ドル相当の車を貰いました。五輪優勝金額は、世界選手権優勝金の1/3です。ポーランド人の平均年収が5000ドル程度ですから、それなりの価値ある賞金ですが、日本と比較にならないでしょうね。西側のような広告収入は、ポ ーランドではまだまだ考えられません。

スポーツ一家、期待の娘

ところで、あなた方はいつから、どんな動機でハンマーを投げ出したの?
カミラ 96年6月、わたしが13歳の時です。お父さんがジュニアウエイトリフテイング世界選手権で優勝、スポ ーツ一家です。3歳上の兄ロベルトの薦めでハンマーを投げ始めました。それまでは兄が砲丸、円盤投げをしていたので、わたしが一緒になって遊んでいた程度です。くるくる回転して投げるハンマー投げが面白かった。案外、 簡単に回転できるようになったんです。

ポーランド新記録を出したのはいつですか?
カミラ 96年の8月、ハンマーを始めて2ヶ月後、13歳9ヶ月で参加したポーランド選手権大会です。記録は 47.66mです。国内新記録が出せたのも、あのころ女子ハンマー選手が本格的に取り組んでいなかったので記録が 低かったこともあります。選手も数えるほどでしたね。

『天才少女現れる!』なんて騒がれなかったですか?
カミラ そんな記事がルヴィアナで開催されたジュニア欧州選手権で59.72mで優勝した直後、新聞に掲載されたこともありました。あのころは、ハンマーを投げるたびに記録が伸びていた時ですから楽しかった。この年の最高 記録が63.48mです。ブタペストで開催された欧州選手権にも出場、62.72mで7位でした。

しかし、セヴィリア世界選手権では決勝進出ができなかった。
カミラ 61mでは予選通過できません。もう少し記録が伸びて欲しかったが、今でもそうですが、わたしは習うこ とがいっぱいあります。それまで天上知らずに記録が伸びたのですから、いつかは挫折を味わうのではないかと予期はしていました。あの時の失敗が五輪に活かされたと思いますね。

親子2代ハンマー選手

シモン、あなたがハンマーを始めた動機は?
シモン ぼくはハンマー投げ2代目です。2年前の6月に亡くなった父親の肝いりで有無を言わせずに始まった。親父の記録は52m程度だったということです。今でも最初にハンマーを親父に教わった日を覚えています。1989年 1月13日です。(笑いながら)あれから今日まで、1年間で約536回投げたとすると、約5万回以上になる。そ の距離のトータルは、赤道距離を50周以上になります!なんでも数字に表すのがぼくのクセ。始めたころは親父から教わってきたが、ジュニアのころは親父のライバルだった人がコーチでした。親父の五輪優勝の夢を息子のぼくに託したわけですが、残念なことに、金メダルを見ることなく亡くなってしまった。金メダルは親父に捧げます。

あなたはジュニアから頭角を表した逸材でしょう。
シモン ジュニア世界選手権、欧州選手権で優勝しても、それは悪までジュニアのレヴェルです。大人なってから が勝負ですね。ぼくはポズナン大学1年生19歳の夏に、福岡ユニヴァーシアード大会に参加しました。年齢からすると、72.92m、9位はそんなに悪くない記録です。この大会でコージと一緒に投げたのを覚えています。カールステン・コブスも参加していました。カミラのような逸材は別として、通常の選手が大成するには努力と時間が必 要です。

大学の専攻は?
シモン 数学です。といっても、最近は大学に在籍していても名前だけです。恥ずかしい限りですが、競技に忙し いので学業はおろそかになっています。引退したら、多分、学業に戻るでしょうね。

数字に強い分けですね。
カミラ まず、今年の6月に高校を卒業しなければなりません。五輪前後して、長いことワルシャワの高校を欠席、そのハンデイキャップは大きいのですが、遠征先で自習でカヴァーしています。五輪で優勝しても、高校の成 績には全く関係がありませんからね。ですから、高校卒業試験をパスできるように、ポルトガルに来てまでも勉強をしなければなりません。将来は、銀行に勤めたいと思っています。

朝9時から練習開始。大男達は、走ることが全く苦手。グラウンド一周がやっと。ストレッチングらしきものは一切なし。いきなり投擲練習に入る。槍投げを除くハンマー、円盤、砲丸投げを、それも左右の手を使って投げる。 ツボルスキコーチは、よほどのことでなければ声を掛けない。ハンマーを2回転で50回投げこんだ。シモンはパートナーを組んで、12kgハンマーを左右50回ずつ無回転で投げ合う。カミラのハンマーは、彼女自身も行く 先が分からない広角投法。投擲フィールド外の松林が被害に遭って傷だらけ。あのカミラの体力を持って、不思議 なことに円盤は30mも飛ない。失敗ごとに愛嬌たっぷりおどける。カミラは未完の大器だ。シモンはなんでも器用こなす。スマートに投げる。なかでも円盤投げは、得意らしく自己記録は50mと言うこと。たっぷり3時間の練習が終った。昼食は、ホテルのレストラン。シエスタを入れて夕方3時過ぎに練習再開。この日はウエイトトレーニングだった。物凄いパワーに圧倒される。フィンランドのやり投選手、アキ・パヴィアニエンもウエイトトレーニングにやってきた。

ポーランド躍進の背景に


最近、ポーランド陸上会に優れた選手が多い。
シモン ひとつは1993年、バルセロナ五輪アドヴァイザーで辣腕を発揮したステファン・パシックが帰国、ポ ーランド五輪協会会長に就任してからです。それまでの沈滞ムードに活をいれ、積極的なスポーツ政策を展開、財 政危機を立て直したことでしょう。それまでわれわれが冬季合宿を、南欧ですることは不可能なことでした。例え ば、昨年の1月は、ちょっとわれわれには暑すぎたのですが、南アのヨハネスブルグで合宿をしました。画期的な 改革ですね。今年も3月に南アで合宿をする予定です。今までなら、とてもこの時期にポーランドでハンマーを投 げることはできません。五輪協会のバックアップが、若手選手に刺激を与え、やる気を起す起爆剤になったからで しょうね。

国内の施設は?
シモン ポーランド国内の施設は、エリート選手にとって最高のあらゆる施設が完備されています。多分、西側よ り優れているでしょうね。五輪センターには、最低零下160度に下げられる冷凍室も完備しています。裸で、特 殊の靴下を履いて、マスクをつけて数分入室する。ところが、ポーランドの弱点は、薬については後進国ですね。 ちょっとしたことでも、ぼくの町ポズナンでも買うことができません。

それではドーピング問題は起きそうもない。
シモン 起きないとは断言できませんが、ぼくは昨年だけでも22回のドーピング抜き打ち検査を受けています。 例えば、ぼくは昨年12月26日に結婚(妻は、52mを投げた槍投げ選手、高校体育教師)したのですが、次ぎの 朝6時30分、電話でその日12時にドーピン検査を行うことを通告してきました。カミラは27回ドーピング検 査をクリアーしてきました。ドーピング検査は怖くないが、薬を使用するのに細心の注意が必要です。ぼくは、ポーランドドーピング委員、大学教授のアドヴァイスを受けてから服用しています。

現状のドーピング検査下で、ハンマー投げの世界記録更新は可能ですか?
シモン ぼくは84mぐらいなら可能でしょうが、それ以上投げるのは難しいと思います。

カミラ わたしは、まだまだ習うことが山ほど沢山あります。世界新記録を狙う前にすることが沢山あります。パワー、スピード、テクニックを身につければ、世界記録は1人でついてくることと思います。

シモン ぼくから見るカミラは、まだまだ未完の大器ですね。カミラのポテンシャルは、将来最初の80mラインを超える選手だと思います。世界は彼女の努力に期待しましょう。(笑い)

チリで行なわれたジュニア世界選手権で、一体なにが起きたの?
カミラ (恥ずかしそうに) 一生懸命投げたのですが予選通過ができませんでした。シドニーから帰国、とても想像できない忙しさが続きました。レセプションの連続でぐったり疲労。チリに着いたときは最低のコンデイション でした。競技よりゆっくり休養を取ることが先決。モチヴェーションは最低でしたね。ポーランドに一時帰国したのが大きなミス、シドニーから直接チリに入るべきでした。

今季のあなたがたの抱負は?
シモン 世界選手権です。今年は追われる立場、コンスタントに80mを越す力を持ちたいものです。出きれば日本に行きコージと一緒に投げてみたいですね。
カミラ わたしも世界選手権ですが、まず最初の難関は高校を卒業することでしょう。

(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2001年3月号掲載)
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