96年の12月のある日、パトリック・エムボマ(31才、パルマ)が帰宅すると、奥さんのギラが「ある人からの電話があって、ちょっと遠い国だが、給料が今より10倍くれるところがあるが行く気はないかね」と言った。即座に「日本だ!」と、ピーンと来るものがあったらしい。そんな国は日本以外にあり得なかったらしい。数日考えた末、給料の魅力もあったが、それより奥さんが「あなたが行くならどこでもついて行く」と理解を示したのが、最終的に決定した。95年シーズン、パリ―SGで始めて1軍に上がったが、ジョージ・ウエアー、デヴィッド・ジノラ、パトリック・ヌマらの蒼々たる豊富な攻撃陣。エムボマはフェルナンデス監督の構想から外れ、95−96年(17試合、4ゴール)シーズンをメッスに貸し出された。次ぎのシーズン、再び古巣のパリに戻った。リカルド新監督構想からも外れた。ここにもパトリック・ロコ、ヌマ、デリーヴァルデスらのFW層の厚かった。エムボマには、パリーSGのレギュラーポジション獲得は難しかった。デニゾー会長一人は、エムボマの将来性を高く買ってくれた。そんな矢先、エムボマは寝耳に水、大阪ガンバのオファーを受けた。友人知人は、挙って「今が最も大切な時、レヴェルの低いJリーグ移籍は自殺行為だ!」とアドヴァイスした人もいたらしい。しかし、パリ―SGにいてもベンチを暖めるだけ。試合に出るチャンスがなければ、プレーは上達しない。精神的なフラストレーションが溜まる。極東の日本に行くことは、今までもらったこともない金額の給料に心が動いたことも魅力で否定しないが、エムボマの「個人的なチャレンジ」だった。そして、大阪ガンバで衝撃のデビュー戦!その後エムボマJリーグ大活躍の話しはここでは省こう。
「日本でプレー、失った自信を取り戻した。運も向いてきた。カメルーン代表98年ワールドカップ予選試合に駆けつけ、本大会に貢献したと自負している。チャンスは自分で掴むものだ」カメル−ンーフランスの往復を繰り返していたエムボマは、カルチャーショックを受けながらも、新しい国の文化を体験、学ぶことで確実に大きくなった。「日本人はヒポクリテイカルではない。フランクで正直、柔軟性に一見乏しく、冷たい印象を受けるが、受け入れられると驚くほどにストレートだ」と言う。協会内部の腐敗、混乱、世代交代時期のカメル−ンは、フランスワールドカップで思った以上の活躍が出来なった。しかし、エムボマのプレーに注目したセリアAのカルガリが、熱心にエムボマのポテンシャルを勧誘した。「カメル−ンーフランス―日本、遠回りをしたようだが、あの時日本行きを断っていたら、恐らくイタリアリーグでプレーすることは不可能だったろうね」と言う。その後、エムボマはカリアリ、パルマと移籍。昨年の開催された第22回アフリカ選手権で、地元ナイジェリアを敵地で破り優勝。続く、余勢を駆って、シドニー五でスペインを降し念願の優勝を果たした。敵のゴール前のアクションは、まるで凄しい形相門前の『仁王』だ。が、五輪金メダルを首に掛けて子供のように喜んでいたのが印象的だった。巨体の割には、細かいリズミカルな軽いフットワーク、トリッキーなプレーをする。時には、ペナルテイエリアの外から、豪放なショットを放ちゴール強襲。カメルー―の2トップは、エムボマと12才年少のサミュエル・エトー(レアル所属、マヨルカに貸出)の剛柔コンビは最強FWコンビだ。エトーは16歳でレアルマドリッドとプロ契約した逸材。しなるような身体のモーション、ドリブルから鮮烈にゴール奪う。空中戦も強い。エムボマが落とし、エトーが叩く。一連の活躍で、エムボマは昨年アフリカ最優秀選手に選ばれ、カメルーンは20世紀アフリカ最優秀チームに文句なく選出された。エムボマ人生最高に輝ける20世紀の終焉だった。ちなみに、20世紀アフリカ最優秀選手は、90年ワールドカップでセンセーショナルなプレーで大活躍したロジェ・ミラ(カメルーン、FW)だった。要するに、アフリカ大陸サッカー大国ナンバーワンは、中央アフリカの熱帯性雨林が国土を被う小国カメルーンだ。カメルーンの人口は1300万人。首都はヤウンデ、港町のドアラは英仏語のバイリンガル土地だ。エムボマはこの港町出身。カメル−ンにサッカーが外国から紹介されたのは1923年と言う。この年すでに、Le Club Athletic Du Camerounとういうクラブが発足。エトーは、この町に設けられたジルベルト・カジ・サッカーアカデミー出身だ。チームの世代交代をスムースに行ない、エムボマはカメルーンのエース的存在だ。いつのまにか代表選手の中で、エムボマただ一人30才を超えた最年長になった。
アフリカワールドカップ予選グループA,リビヤ、アンゴラ、ザンビア、トーゴに全勝。多分、世界に先駆けて予選突破最初の国になろう。エムボマは日本での経験をこう語る。「日本人のサッカーは、世界に追いつけ。必死に習おうとしている。アフリカ人のように身体的質素があると思わないが、日本にはアフリカにはない組織力がある。Jリーグ選手は、高給を取り甘やかされスター扱いされるが、カメルーンでそれなりの収入があれば外国に出ないだろう。今までは、試合の遠征はいろんな国行ったが、見聞する時間も興味なかった。ところが、日本で生活してから僕の世界観が大きく広がった。大阪で運が向いてきたことも確かだね。日本で試合に負けても勝ってもアイドル化されるが、イタリアで試合に負ければ、罵倒され、襲われ、クズ扱いされる。イタリアで試合に勝つための『真髄』を覚えてきた。」また、「現在のカメル−ンは、年齢的には若いが、いずれの選手も欧州トップクラスのクラブでレギュラー選手だ。毎週熾烈なリーグ戦で鍛えられている。今まで弱点とされた高いレヴェルでの試合慣れ、精神的弱点はないだろう。あとは協会がどれだけバックアップするかが、次回ワールドカップの鍵になるだろう」
カメルーンは、昨年あのフランスと対戦。最近フランス代表がスタッド・ド・フランスで対戦したイングランド、ドイツ、ポルトガルらのどのチームより、カメルーンは世界チャンピオン相手に怯むことなく堂々と対等に戦い引き分けた。
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