【ポーラ・ラドクリフ、2時間15分25秒、衝撃な世界最高記録樹立!!】

英国陸上競技史上女子最強選手、地元のヒロイン、ポーラ・ラドクリフ(29歳)は、異例なケニヤ男子2選手のペースメーカーをつけて、スタート一歩からほかの選手を度外視の独走(?)。夢の女子マラソンの世界最高記録2時間15分25秒で優勝した。

昨秋シカゴで自ら樹立した世界最高記録を1分53秒更新、大会2連勝、マラソン3連勝、3連続世界最高記録(注:女子単独、混合レース)を達成した。

アルバカーキーで合宿中、子供の自転車と接触して転倒。顎を脱臼するアクシデントにも屈せず、重圧を撥ね返す実力、絶好調をまざまざ見せつけた「ワンマンショー」だった。

一方、男子の活躍がラドクリフの記録で影が薄くなった感じがしないまでもないが、最後の300mまで5選手が横一列に並ぶ激戦。ヌゴレスがまず仕掛けた、バルディニが抜き返し、さらに、残り10mでアベラが抜き去って2時間7分56秒で征した。迫力ある見ごたえのあるレースだった。(天候快晴、スタート時の気温9.5度、ゴール時15度、湿度約70度、風)

異次元の高速マラソン

ポーラ・ラドクリフは号砲の瞬間から、すでに一歩リードした。絶好の気象状況も味方につけた。

一度も後方を振り返ることなく、首をガクガク振りながら2人のケニヤ男子ペースメーカーを追走。1マイル約5分10秒前後、5km約16分前後の破天荒なハイペースで、いまだかつて誰も到達しない異次元高速マラソンを完結した。

一見無謀に見えるハイペースも、ラドクリフは「スタートから4km過ぎまでチョッとペースが早すぎたのでスローダウン。スタート直後から、誰も追ってくる気配がないので努めてリラックスを心掛けた」と言うように、10km過ぎからハーフ地点通過まで、16分15秒前後のペースに落とし、自ら身体に問い掛け探りを入れた慎重な前半の走りだった。

ラドクリフは「あのペースで行っていたら後半潰れていた。前半はリズム、ペースを整えて走ったが、後半はスピード維持に努めた」と説明する。それでもハーフを68分2秒で通過、昨年のデビュー・マラソンと比較すると、約3分近く早い。昨年シカゴで彼女自身が樹立した世界最高記録の通過記録にも59秒早いペースだった。

この時点で2位を走っているキャサリーン・デレバ(ケニヤ)と2分の大差(70分2秒)が開いていた。デレバは言う。「レース前から男性のペースメーカーをつけることは好きではない。多勢に押し切られた形になった。ペースが設定2時間16分の高速では、わたしには早すぎる自殺行為です。だからスタートから自分のペースで走っただけ」と、始めから諦めの感じだった。

ラドクリフは「中間地点通過時間を見ると、大方予想通りのペースで通過。まだ余力があったので後半ペースアップした」と説明。ここからラドクリフがギア―チェンジ、後半に滅法強い本領を発揮する。過去いずれのレースにも後半が前半より記録は良い。

2人のケニヤペースメーカーの一人が30km地点で棄権。ぺースは20kmから5km毎に10秒前後スピードアップする。30kmから次の5kmは15分58秒、35kmから40km最大の難所になっても、さらに15分55秒とスピードアップする驚異的な耐久力を見せつけた。

ラドクリフは「36kmを過ぎる頃から、斜め前方からの向かい風が強く吹ききつかったし、おなかが痙攣したトラブルが起きたが大事に至らなかった。バイクに乗っていたカメラマンが至近距離で撮影し始めたので、アルバカーキーで自転車との接触事故を思い出し怖くなった。排気ガスを吸って気持ちも悪くなった」と笑顔でレースのトラブルの説明があった。

それにもかかわらず、後半、67分23秒で突っ走った恐るべきパワーだ。 また、男子ペ-スメーカーについては「正直言って、キツイ時はペースメーカーがいるときは助かっただろうし、ある時点ではペースダウンにもなっている。ペースメーカーなしでも、このタイムを出せる自信はある」と、周囲の興奮した雰囲気とは対照的に淡々とレースを分析するクールな自信の程を見せた。

かつて中山竹道選手から「完璧なマラソンレースは、スタートからゴールまでトップで完走することにある」と、独自なマラソン美学を聞いたことがある。 が、ラドクリフは史上第2位の記録に3分22秒の大差をつけた世界最高記録で優勝した。さしずめ「究極」のマラソンと呼べようか。

2時間10分の壁に穴をあける可能性が見えてきた。来年のアテネ五輪はマラソンで望む可能性が濃く、史上最強長距離ランナーを相手に日本勢の苦戦は必死だ。

画期的なアイディア、世界のマラソン界をリードするロンドン

一体世界の誰が・・・?!女子選手に男子ペースメーカーをつける発想を生んだのだろうか?

今年2月28日に他界したロンドン・マラソン創始者の一人、メルボン五輪3000m障害の優勝者クリス・ブレイシャーは、ロジャー・バニスターが人類初のマイル「4分の壁」を突破したレースの最初の800mペイサーだった。

現レースディレクター、デヴィッド・ベッドフォードは、1973年7月13 日、クリスタルパレスで10000mを27分30秒8の世界新記録を樹立した男。いずれも長距離走者で頂点を極めたキャリアの持ち主。かれらの経験を十分レースに生かし、創設当時から常に世界のマラソンに大きく貢献してきたと言えよう。

これまで執拗に女子単独レース記録を世界最高記録とする提唱運動にこだわり続けてきた。 昨年はラドクリフ、ゲブレセラシエらにマラソンデビュー戦を仕掛けて、ハリッド・ハヌーチが男子世界最高記録を樹立した。

今年はさらに過激に、女子選手というよりラドクリフに「男子ラビット」導入を発案した。昨秋シカゴで記録した世界最高記録を是が非でもロンドンで破る賭けに出たのだ。IAAF、大会規則まで変えさせた爆走だった。

ラドクリフはこれらの総ての重圧にも耐え、世界を唖然とさせた世界最高記録で優勝した「鉄の女」だ.レース前後の数日間のインタビューなど、ひとつにまとめてみた。

まだまだ記録は伸びる、自分の限界は先にある

―昨年のレース前の練習と今年の違いはありますか?

ラドクリフ―基本的に練習プログラム、場所、走行距離1週間に140マイルは変わっていませんが、変わったのはマラソンへの不安が減少しただけ自信になっています。

―今年のクロカン世界選手権3連勝を取り止めた理由は?

ラドクリフ―今年はクロカンを休む予定にしました。ただし、世界選手権は、その時の調子によって考えることにしていたのですが、3月8日、アルバカーキーで合宿中に自転車と接触事故を起こしたのがおもな原因で出場を取り止めたのです。詳しくは23マイルのエンデュランスの練習日で、22マイルぐらいを走り終えたときでした。疲れているときだったので、とっさの反応が鈍かったこともあるでしょうが、前を行く13歳ぐらいの子供の自転車を避けたと思った瞬間、子供が後方の両親を振り返ってバランスを崩した。まともにわたしの足元に接触したので、アスファルトに顔面から叩きつけられて、顎を脱臼、腹筋を痛め、擦り傷を顔、両肩、手足にして血だらけになったので大変なショックでした。一瞬の事故で総てをフイにする寸前でした。子供は起きようともせず泣きだしたのですが、血だらけのわたしの顔を見てのショックです。幸いに子供に怪我はありませんでしたが・・・

―練習を中断しましたか?

ラドクリフ―次の日から練習を開始したのですが、まともに走れる状態ではないので、数日練習を中断しました。いい休養になったかも。幸いに、ジェラルド・ハルトマン(アイルランドのリメリック市にある診療所の世界的なフィジカルセラピスト)が来ていたので、顎を入れて貰い擦り傷の応急治療を施してくれました。練習プログラムそのものにはそんなに支障は起きなかったと思います。ただ、数週間リンゴを食べるのも顎は痛かったですね。

―昨年と比較しての調子は?

ラドクリフ―調子は過去最高の感触がありました。シカゴ・マラソン後は十分な休養を取る必要があったので今年はクロカンに出場を一切しませんでした。最初のレースが、2月23日、プエルトリコのサンフアンでの10kmロードレースに出場。昨年同大会で優勝した記録より22秒早い30分21秒(注:前半14分48秒!)の世界最高記録が出たからです。

―最初から世界記録を狙って走ったのですか?

ラドクリフ―誰もが常にベストを尽くして、結果はともあれ記録更新にチャレンジするために練習を積んでくるでしょう。私は絶好調なことはわかっていましたが、目標タイム設定はありません。(注:2人のラビットは2時間16分ペース設定の使命を受けていた)ただ、いつものように走り出してから、身体に聞きながらベストを尽くすことだけを考えていました。結果が後からついてきたのです。

―スタート一歩から前に出ていましたね。

ラドクリフ―走り始めてからすぐに気がついたのですが、誰もついてこなかったのは予想外でした。(注:最初のマイルは5分10秒、この時点ですでに2位と14秒差、サブ2時間15分の高速ペースで入った)最初の4kmぐらいでチョッとペースが速すぎたので、スローダウンしたが今度は少しペースを落としすぎましたね。

―2時間16分ペース設定だったしょう?

ラドクリフ―周囲が何分ペース設定とか言っていたのですが、マラソンはその日の天候、その日のフィーリング、リズムなどに大きく影響するものです。ですから、スタート前になって、ガリー(ラドクリフの夫)が『何分ペースで行くか?』と聞かれても、わたしは『走ってみないとわからない』と答えています。その時になってみないとわからない部分があります。実際、走り出した感触、リズムなどから、自分の調子を見ながら走ることに心掛けてきました。レース前から、何分設定で走ることを決めてしまうのもどうかと思います。

―今回はスプリットタイムをしっかりチェックしましたか?

ラドクリフ―(笑いながら)昨年よりは利口になりました。(注:昨年は時計を見なかったため、9秒差で初マラソン世界最高記録を逃した)5kmから20kmぐらいまで、慎重になりすぎペースを落としすぎたのですが、無理をしない走りを考えました。後半になって、ほとんどマイルごとにスプリットをチェック、身体に聞きながらリズム、ペースをキープして走りました。 ペースメーカーは役に立たなかった ―風は気にならなかった? ラドクリフ―ドック(33kmを過ぎた)を通過する時の向かい風はきつかった。あの辺は最も疲れたときでしょう。

―レースでなにかトラブルが起きましたか?

ラドクリフ―どのマラソンも必ずなにかトラブルが起きるものですね。最初のマラソンでは、27,8km、シカゴでは37km、今度は34km辺りでおなかが痙攣してきたりしたが大事に至らなかったのは幸い。沿道の応援に力づけられました。あんまりトラブルを考えすぎないでただ無心に「just keep going」走っただけです。

―向かい風、おなかが痙攣した時なにを考えましたか?

ラドクリフ―これ以上悪くならないことを祈り、完走することしか考えません。残り8kmを走れば3週間のヴァカンスが待っている。と言って自分に言い聞かせても、痛みは治まらないし、最後の3km、ビックベンまでの直線はまともに風を受けて大変苦しかったです。大きなカーヴを曲がって、残りゴールまではかなり楽に走れたのですが、ゴール直前になってまたお腹が最悪な状態でした。

―男性2人のケニヤ人ペースメーカー(注:エリユード・ラガット2時間11分21秒、昨年のベルリン6位、サイモン・ロプイェット、2時間12分48秒、ケルン4位)は世界最高記録達成に貢献したと思いますか?

ラドクリフ―「Yes or No」正直に言えば、今回最初の4hmぐらい一緒に走った程度で、後はお互いのペースで走っていたと思います。レース前にも話したように、完璧な調子ならペースメーカーがいてもいなくても走れます。あるところでは彼らに付いてゆくことで助けられたかもしれませんが、あるところではペースダウンしていることもあります。プラスマイナスゼロでしょうね!正直に言って、独走してもこの記録で走れる自信はあります。シカゴの場合は、たくさんの男子ランナーが周りを囲んで走ったのですが、ペースメーカーの役割はしていません。それよりも気になったのは、あまりにも近付いてくるので足が絡んで転倒がほんとに怖かったです。最後の向かい風の時には、風除けのランナーはいませんでしたし、第一、わたしは人の背中を見て走るのが嫌いな性分です。今回の男女スタートを45分間隔に置いたのは、BBCTV放映の問題からです。わたしは男女混合レースを希望したのですが、TV局の強い要望があったからです。

―IAAFから、男性ランナーのアシストがあると記録は公認されない警告があったので、注意して走りましたか?

ラドクリフ―そんなことはありません。風除けになるほど大きな男性ではなく、人の背中を見ず、自分のペースで広いロードスペースを使って走るほうがすっきりします。

―ペースメーカーと言葉を交わしたことはありますか?

ラドクリフ―レース中は一言もかれらとは話したことはありません。給水の人、バイクに跨っているTVカメラマンが近付いてきたので、数回に離れるように言っただけです。あのバイクの排気ガスを吸って気持ちが悪くなってきました。あとは独り言かしら。

―どの辺で世界記録更新を意識しました?

ラドクリフ―前半を通過して、1分近くシカゴの記録より先行しているのを確認しましたが、このタイムは予定より早いものでした。ペースをキープすることだけ心掛けただけです。タイトル防衛と勝つことしか念頭にありませんでした。絶好調と言っても、マラソンはゴールすまでなにが起きるかわかりません。わたしはゴールラインを通過するまでレースに勝ったと思いません。

―シカゴで、ぼくはあなたに『日本のある監督が15分で走れる潜在能力があると言っていますが・・・それに対してのコメントは?』と質問しました。あなたは『その記録は現在ではチョッと考えられません』と答えたことを覚えていますか?

ラドクリフ―そんなことを聞かれたような気もしますが・・・あの時点では実際、それだけのメンタル、身体的な練習を通しての準備がなかったので、あのような返答しかできなかったのです。

―まだ早く走れると思いますか?

ラドクリフ―もちろんです!記録への夢、希望、挑戦がなければ誰も努力を止めるでしょう。進歩が止まります。われわれ選手は記録の限界がどこにあるわかりません。限界が頂点に到達しているとは、決して思わないものです。だから、以前にましてハードな練習をこなして、次のレース結果はどうであれベストを尽くす努力をするのです。

―このレースが五輪前最後のレースですか?

ラドクリフ―そうです。 長距離総ての種目に世界記録の可能性がある

―トラックシーズンの目標は?

ラドクリフ―トラック練習に入る前、まず3週間完全休養します。それが終わってから、ゆっくりトラックについて考える予定です。

―昨年より、トラック記録更新が今年も昨年のように期待できますか?

ラドクリフ―多分、昨年よりトラック走力はついていると思います。あらゆる点でどこまで続くかは知りませんが、00年より毎年確実に大きな進歩が見られます。ですから、今年のロンドン・マラソンの結果が良かったのですから、当然、トラックでも昨年にましても期待したいものです。昨年、初マラソンで優勝したことは大きな自信になりましたし、マラソン練習がスピード、耐久力など、トラックを走る総ての要素に大きな進歩を見せています。証明したのは、昨年、モナコGP3000mで欧州新記録8分22秒20(最後の200mでガブリエル・ザヴォ―が追い抜き、8分21秒42で優勝)を記録した時です。また、大英連邦大会5000m独走で、14分31秒42の自己新記録です。自分でもあそこまでスピードがついたとは予想もできませんでした。 ですから、今年もトラック練習が順調に行きさえすれば、世界選手件が終わってから、調子がよければ挑戦したいと思います。わたしの10000mの記録と世界記録は30秒以上の差がありますので、これを破るのは非情に難しいと思います。しかし、5000mの世界記録ならあと一歩の距離です。こっちのほうがリアリスティックでしょうね。 ―世界記録更新の可能性としては、3000mからマラソンまでの総ての長距離に当てはまるでしょう。 ラドクリフ―可能性はあっても、現実には非常に難しいことです。

―今年の世界選手権は5000、10000m2種目出場予定ですか?

ラドクリフ―2種目は無理でしょう。多分、10000m出場になると思います。

―長距離オールラウンドランナーですが、どの種目が最も好きですか?

ラドクリフ―確かに、わたしの生理学的、ランニングスタイルなど、長い距離のほうが、例えばマラソンに最も適していますが、好きな種目ひとつを選べといっても非常に難しいことです。3000mから10000m、クロカン、ロードレース、マラソンまで、どの種目も個性的でおもしろく好きです。1500mでもあれほどきつくなければ好きですね。ジュニア世界クロカンを征しているので、一生勝てなくてもクロカン世界選手権出場を続けて、是が非でも優勝したかったんです。クロカン世界選手権シーズンによって、走る距離、種目を変えることは楽しくレフレッシュできます。特に、わたしは以前から、長距離種目のゴールはマラソンであり、マラソンに長距離種目の総てが凝縮されたものと考えます。 アテネ五輪はマラソン出場が濃厚

―マラソンで最も重要なことは?

ラドクリフ―わたしはマラソン成功の鍵は、メンタルの準備完了だと思いますね。あの距離を走れるメンタルの準備、自信が生まれた時に、初めてマラソンに挑戦準備が完了してきといえましょう。わたしはシドニー五輪10000m決勝で、24周のラップを取りましたが、結果は4位でした。あの敗戦でマラソンへ転換する時期を感じたので、メキシコで開催されたハーフマラソン世界選手権に挑戦したのです。

―五輪の敗戦に挫折感はなかった?

ラドクリフ― もちろん、トラックで勝てなかったときは非常に失望しましたが、自分の力がなかったので仕方ないでしょう。また、一体スポーツになにを求めているかでしょう。もし、相手に勝つことを信じなければ競技を止めるべきでしょう。競技を続けながら、なんらかの解決手段を見つけるまで努力するのがベストでしょう。わたしの祖母の教えは、なにかの目的達成には最初に『努力』することが必要だと教えらました。英国の陸上選手の多くが、世界トップレヴェル到達にはfull time jobが必要だとは考えていない節がありますね。ケニヤ選手は才能もあるでしょうが、競技の成功に生活を賭けている。厳しい自己管理ができなければ成功はできないでしょう。そして、もし、わたしが走ることにエンジョイすることがなければ競技は止めますね。好きだから激しい練習も、その先に喜びを期待できるからです。

―アテネ五輪では2種目出場ですか?

ラドクリフ―目的は1種目に絞ります。五輪優勝は競技者なら誰もが夢見ることです。あの独特の雰囲気は不思議な陶酔の「魔力」とでも言えましょうか、そんなものがありますね。最初のレースが終了して、初めて次の目標を考えることができると思います。始めから2種目に掛け、一種目で目的が果たせなかった場合、滑り止めに次を狙うような安易な考えでは決して成功しないでしょう。もし、ひとつ勝って、心身ともに次のレースで出場できる状態であれば,それはボーナスです。

―どの種目を選びますか?

ラドクリフ―まだ先の長いことなのでどの種目にするか決めていませんが、今のところマラソンに少し傾いていることは確かです。

―アテネ五輪マラソンスタートは18時と決定しました。これについてのコメントは?

ラドクリフ―主催者側とTV局からの強い要望に押し切られて、IAAFが決定したものですが、われわれ選手の配慮に欠けています。午後6時、真夏のアテネの気温、高い湿気、大気汚染は世界的に悪名高いもの。どの選手に聞いてもこの時間帯にレースをするのはクレイジーでしょう。もちろん、選手全員同じ条件ですが・・・マラソンを走るコンディションではないことは明確です。

―ここ1年間、急激にライフスタイルが変わりましたか?

ラドクリフ―自分自身では生活そのものが根本的に変わったと思えないが・・・、MBE(Member of British Empire)を受賞、特に、昨年のBBC Sports Personality of the Yearに選考された時は、これほど多くの人たちが推薦してくれたことに驚きました。まして、デビット・ベッカムと比較されて、彼の足元にも及ばないと思っていました。その後、街角で見知らない人たちから声を掛けられることが暫しあります。

―あなたは英国の男性より早い。 ラドクリフ―わたしよりもっと早い人たちはいるわ。今年だけは別ね。

ポーラ・ラドクリフの2時間15分25秒は、英国男子1位のクリス・カリスン(通算17位)の2時間17分57秒の記録を上回るため、英国国籍男女1位に贈られるジム・ピータース杯も女子で始めて獲得した。ラドクリフは優勝賞金5万5000ドル(約660万円)、世界最高記録ボーナス12万5000ドル(約1500万円)、コース新記録ボーナス2万5000ドル(約300万円)、サブ22分ボーナス、5万ドル(約600万円)らが加わり、合計35万6000ドル(約4222万円)になる。これに公式発表はされていないが、出場料金は破格の30から40万ドル、スポンサーからの優勝、世界最高記録、コース新記録など諸々のボーナスを含めると、軽く1億円突破は間違いないだろうと言われている。

(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2003年6月号掲載)
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