【サブ20分で優勝、世界選手権出場権を獲得するS!】

渋井陽子は真っ黒なアンツーカーの上を、緊迫した表情で激しい呼吸音は発してインターバルを続ける。同僚の大山美樹の悲惨な呼吸音は、蛙が潰されるようなとても人間のものとは思われない。その呼吸音は、海抜1860mの高地でランナーの心肺運動を極限に拡大、少しでも多くの酸素を呼吸するモーションに悲鳴をあげているのだ。あのハリッド・ハヌーチがアルバカーキーで蒸気機関車のように大きな呼吸音を吐いて走っていたのを思い出す。その日、渋井は名古屋マラソンに向けて、高地練習で最も過酷な7x2000mを6分40秒前後のペースでインターバルに挑んでいた。次の日の午後、交通量の激しい道路端を孤独なジョッグ。深々と帽子被って、オゾンをいっぱい含んだ高地特有の紫外線の強い日差しを避けるようにして、ひたすら黙々と短調なリズムに耐えた2時間を無表情に消化した。そこには"ひょうきんな明るい"渋井陽子のイメージは、探したくも片鱗もないクールな競技者の姿があった。ある日の昼食後、名古屋マラソンに掛ける航天療養院合宿所で練習中とはうって"明るい"渋井節を聞いた。

―ここにくる前、鈴木監督にあんまり硬いことを言うと嫌われる。そうなると喋ってくれないぞ!と脅かされてきたのでお手柔らかに・・・

渋井―イヤイヤ!そんなことはありませんヨ(笑う) ―こっちはどれが堅いか柔らかい話かわからないので・・・

渋井―ガッハッハ!! ―昆明で走っている"渋井"は、あまりにも真剣なので記者会見などのときのイメージが違ってくる。

渋井―!そうですか!

―練習中に、まさかニコニコしてやっているとは思わなかったが・・・緊張感が違うし、今日の2000mのインターバルでピリピリムード、凄い形相でトラックを走っていたでしょう。見ていた中国の若い選手、韓国のコーチ連も緊張、終わったら拍手していた。

渋井―そうですかア。あの2000mのインターバルは、高地でマラソン練習の中で最もきついんですよね。

―心臓が破裂しそうな呼吸していた。 渋井―そうですね〜。心臓が破裂しそう!あれだけきついんですからとりあえず結果を出さなけりゃア〜と、いう気が起こりますよ。そうでもなけりゃア、これだけ身体を酷使して長期の合宿を行い、40km走とか一人のジョッグなど、それまでの練習が一体なんだったか?と考えるじゃあないですか。総て良い結果に結びつくための試練ですから追い込むに耐えられるのです。試合で下手な結果で終わらせたくないです!!

―昨年12月始め陸連の五輪選考基準が発表され、一転、名古屋マラソン出場することになってここにきた。その経緯を聞きたいのだが・・・?のっけから堅い話でごめんね。

渋井―イヤイヤ、そんなことはありませんよ。(笑い)あんがい簡単にできました。

―来季は1万mを走る予定から、急転、マラソンに切り替えたが気持ちの切り替えに戸惑いは?

渋井―そうですね、でも、以外に簡単で大丈夫ですね。

―アテネ五輪から逆算して、パリ世界選手権、名古屋マラソンを視野に入れて計画を立てているでしょう?

渋井―ウ〜ン、まあ、目的がチョッとだけ急に変わったので・・・始めは困ったナーと言う感じでしたが・・・。辛いかもしれないけれどネエ。遅かれ早かれいずれは通らなければならい難関ですよね〜。それで決まっちゃえば楽なんで、ここでがんばってやるのが勝負時だと思います。失敗は許されませんし、決めなきゃあいけません!

―全日本女子駅伝3連勝を逃した不運もあるが、その影響はありますか?

渋井―個人的なショックはありません。あの時は疲れていて、もう気持ち的には切れていたのであんなものですね。自分でも走れないのはわかっていたのでショックはないです。それよりは、われわれは当然勝てると予想していたのが、相手が強かったので驚いています。普通なら負けないでしょうね。

―ここにきたのが12月21日、昆明で新旧正月(中国の正月は2月1日から)を迎えたわけですが、なにか願を掛けましたか?

渋井―しましたよ!西山(昆明市外の南西にある昆明湖とも呼ばれる自然森林。)に走って登り、竜門(その西山の断崖絶壁に唐時代に築かれた断崖をくり抜いて建立された寺院、中でも竜門と呼ばれるのは中国三大石窟のひとつと呼ばれる名所)より高い、多分反対側にあるところで"願"を掛けました。全日本選手権優勝することや、ガッハッハ!!ほかにもちょっとねー、ウッハッハ!!

―合宿は順調に消化していますか?

渋井―ウ〜ン!?

―例えば、シカゴ前と比較して

渋井―イヤイヤ、シカゴの時は凄く練習できたので、それとは比べるとできていないんですけれど、でも、これから調整を巧くやれば・・・絶対に走れるので心配はしていません。シカゴの時は練習が出来すぎていたので試合当日までその調子が持たずに、調子がくだり気味になった時でした。本当に調子が落ちてきたんです。ハイ!ですから今回はあそこまで練習できなくてもちょっと"コツ"が判ってきたのでなんとか上手く自分で持って行けるかナ〜と思っていますね。

―それは名古屋が4回目のマラソン経験になるので、練習の過程、レースがある程度読めるということですか?

渋井―そうですね。前よりはレースに向かっての自信が少しはあります。

―マラソンは走れば走るほど、怖くなるという人もいますが・・・?

渋井―そうですか?まだそこまでの経験はありません。

―貢呈訓練基地はいいのですが、ロード練習は人、牛馬、自転車、車など、大気汚染など含めて大変なところですね。

渋井―あまり注意して走りません。ここもくるたびに変わります。この航天療養院(郊外10km)の周りはなにもない場所。最近舗装された道路です。日本の人たちは写真ビデオで見る昆明、合宿所の周辺は、話に聞くより綺麗なところ、そんな悪いところじゃあない印象を与えるらしいのですが、現実にはちょっと違う環境ですよね。

―走るのに怖くない?

渋井―それはないです。後方から着いてくる車の運転手さんに任せていますので事故たりはしません。大丈夫です。その車には監督が座っていますし、車がわれわれをブロックしてくれます。

―孤独なジョッグ走、なにを考えて走りますか?

渋井―追い込みの時とは違い、ジョッグの時は集中力は欠かさないようにして走りますが、その他あまり考えないで走っていますね。身体に聞いて走るし、今はシカゴの時のように、足の故障、痛みは全くありませんから大丈夫です。

―監督はインターバル練習が終わったとき、"モッタ!モッタ!"と言っていたが・・・故障せずに練習を終えたということ?

渋井―足は問題ないですよ。その前に身体が重くて足が痛いより、まだまだ絞り足りなくて大変なんです。最後に6分35秒で上がれたので、まあまあでしょうか。

―体重管理が難しい? 渋井

―水を飲んでも太るタイプではないのですが、こればかりは注意が必要ですね(笑う)ですから練習と食事管理の両方で体重管理をしています。まだ時間がありますから、集中してレース前までには落としますよ!

―監督が体重1kg多い場合、フルマラソンで42kgの負荷が掛る。約200歩の損失だといっていましたが・・・?

渋井―わかっています。そうなんですよ。

―監督のアドヴァイスは? 渋井―ウチの場合は、練習から日常生活の総て、基本的には個人に完全に任せられていますので、自分の責任でことを処理しています。

―一人でプレッシャーを掛けてやる。 渋井―ハイ! 自分で自分を追い込みます。

―"ド根性"という言葉が好きらしいが、負けず嫌いでしょう?

渋井―練習中の"根性"だけは滅多には負けませんよ(笑う)トコトン負けず嫌いですから、耐えることは簡単に根を上げませんよ!!

―それがあなたの強さ?

渋井―どうですかね。会社に入ってから一人練習です。土佐先輩と一緒に走ったことがあるのですが、お互いにケッコー自然と張り合っちゃうんですね。それでもしイイ練習ができたら決して悪いことはないのですが、監督が一人でやれといいますね。

―昆明ホテルは町中にあるが、ここは郊外のなにもないところ。町が恋しくならない?

渋井―昆明ホテルに滞在しているのは羨ましいですね。ここと比較すると、両極端ですね。ここは外には簡単に行けない、ここでは時たまボーリングする程度です。しかし、わたしは昆明ホテルが宿泊所だとしたら"ヤバイ"ですよ!とても気持ちが散って練習に集中できませんね。一般の観光客が出たり入ったりする忙しいところですから、あそこで泊まったらわたしはどうなるかわかりません(笑い)

―ここでの娯楽は?

渋井―練習休みの時は、町中に出て買い物と言ってもデパートを覗いて見て満足する程度かな。気晴らしに、いつも一緒にここにきている大山とふざけていますね。そのほかにはパソコンでメールを出したり、持参した雑誌、本を読んだり、DVD、ビデオの海賊版が安く買えるのでそれをしこたま買い込んで見ます。2月始め、名古屋マラソン出場を決める前約束した茨城県の10kmロードレースに出場するために帰国したのですが、これがいい気分展開でしたね。

―名古屋は記録より勝つことが目的でしょう?世界選手権代表権獲得ですね。

渋井―もちろん、世界選手権大会に行くことしか頭にありません。最悪でも世界選手権標準記録26分を切って、優勝するのが目的ですね。

―雨、風が出るような最悪の気象条件の場合は、26分も大変でしょう?

渋井―イヤイヤ、それでも26分は掛かりませんよ(笑い)そんな掛かったら申し訳ありません!

―サブ20分を目標に走るのか? 渋井―サブ20分!?そうですねー。ウッフフ、サア〜判りません。しかし、20分そこそこで行かなきゃアー。

―しかし、シカゴの後はサブ20分がすぐそこまで、あの時でも35kmから残りの距離で、あれだけの風が吹かなければサブ20分は切れていたはずでしょう。

渋井―ハ〜イ、切れていたでしょうね。20分は切れます

。 ―あなたのポテンシャルはまだ相当先にある?17〜18分台かな?

渋井―ウ〜ン、ハイ!!ガッハッハ!!行きたい!!行きますよ!! ガッハッハ!!

―それ以上かな?

渋井―(笑って応えない) ―あなたのクラスは世界にも数えるしか存在しない。

渋井―ウッフフ、そうですか?イヤイヤまだまだですよ! シカゴではラドクリフには一歩でも前に出たことができなかったですからね。上には上がいますから。あの時はゴールした瞬間、次にはサブ20分を切れる確かな感触を得ました。しかし、まだまだやることがたくさんありますね。これからもひとつひとつ確実に壁を乗り越えて、イイ結果を出して行きたいと思います。

―まず、名古屋で代表権を獲得、パリでまたお会いしましょう。

(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2003年3月号掲載)
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