アレクサンダー・アフェルブカ、史上初のイスラエル優勝、ドイツ勢を下す!

いつからか覚えていないが、アジア系の顔をしたアフェルブカにフィールド内で会うと"シャローム"(ヘブライ語で"平和"の意味)と声を掛けた。始め怪訝の顔をされたが、最近ではかれは目で返答するようになった。

アフェルブカの背景は、イスラエル国内最大の日刊紙エデイオト・アハロノートの友人アヴィンダム・ポラト記者に聞く。「アレックスがシベリアのイルクーツクからイスラエルに移住してきたのは、ショロモ・ベンガル現陸連会長の薦めで98年12月の終わりだった。この人がロシア国内のユダヤ系のスポーツ選手とコンタクトを取り、イスラエル移住を奨励してきた結果です。一種の"シイオニスト"運動ですね。

アレックスの祖父がユダヤ人。かれがイスラエル国席で競技に出場できたのは99年8月3日から。その2日後、セヴィリアの世界選手権で無名のイスラエル人が3位になったのです!アレックスは97年ロシア選手権の十種目で優勝している経歴の持ち主ですが、ガタウリン(元ウズベキスタン)のバレビ・コーバン(ウズベキスタン―ユダヤ人)コーチも一緒にイスラエルに移住。それを契機にアレックスは棒高跳びに専念し始めたんです。」

欧州選手権は、あたかもドイツ勢によって上位独占と思われたが、伏兵のアフェルブカが5.85mを2回目でクリアー、室内選手権に続いて優勝を決定した。その直後、エジプトのアレキサンドリアから、イスラエルのシモン・ペレ外相からお祝いの電話が入った。

イスラエル国歌"ハチクバ"の演奏が始まると、アレックスはしきりに目頭を抑えた。 その心境を「イスラエル史上初の優勝した特別の日です。私の家族はスポーツ一家、昨年12月にガンでなくなった父親(注:母親はイルクーツク在、父はガン治療のためにイスラエル移住)、イルクーツクで交通事故でなくなった弟、30年前のミュンヘン五輪で惨劇の犠牲者のことも思い出し生ました」

同行した陸連のユーリ・ゴールドボウルト教授は、30年前の惨劇を経験したメンバーの1人だ。「この場所でイスラエル人がドイツ選手を破って、"ハチクバ"を聴くことは夢にも思わなかった。われわれにとって、非常に特別なこと」次の朝、厳重な警戒のもとに30年前のメモリアルサーヴィスがしめやかに行われた。

 

2002.8.21.return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index