【記録は二の次、歴史を刻むボストン・マラソン】

パリ・マラソン男子優勝者記録は2時間6分33秒。ロンドン・マラソンでポーラ・ラドクリフが驚異的な2時間15分25秒で優勝した。男子の記録は7分台だったものの、5選手が残り300mで熾烈な決着をつけた。 スリリングだった。

2年ぶりに第107回ボストン・マラソンを取材した。率直に言えば、今年もまた紛れもなくひとつの歴史を刻んだ。歴史を尊重、過去から現在に通じる不変の"ボストン・スタイル"を維持しているが、飽くなき記録へ挑戦とスリリングなレースは見られず全く物足りなかった。

今年のボストンは、暖かったことも多少影響されただろうが、いずれにしても記録は見る影もなく低調。男子はロバート・チェルイ(24歳、ケニヤ)の2時間10分11秒、女子は大きな大会で万年上位だが勝てなかったスヴェトラナ・ザカロファ(32歳、ロシア)の2時間25分20秒だった。

ロッテルダム、ベルリン、ロンドンの欧州レースと、シカゴ・マラソン主催が競って、短期間で男女の世界記録を急激に高めた。最初に仕掛けたのは、若いベルリンだ。

98年、無名のロナルド・ダ・コスタ(ブラジル)が生涯唯一の最高のレースで10年ぶりに記録を更新、同じ日、テグラ・ロルーペも13年ぶりに世界最高記録を更新した。

これをきっかけに、一挙に、記録の"雪崩現象"が起きた。6分台が続出、ハヌーチが5分台で走った。01年、高橋が史上初のサブ20分が出たと思ったら、2週間後にその記録が破られ、昨年は17分台と驚いていたら、今年のラドクリフは男子選手のペースメーカーをつけて、脅威的な2時間15分25秒を樹立した。

しかし、ボストンは世界と逆行するように影響を受けず、94年追い風に恵まれ、エヌディティが2時間7分15秒がコースレコードだ。史上7分台を記録した選手は6人だけ。片道コースで下り坂だが、起伏の激しさは世界が知るところ。

日本選手が海外マラソンと言えばボストンが最高ランクにあったのは一昔前の話。最近ではトップ選手からそっぽを向かれ、平坦で記録に挑戦できるロンドン、シカゴ、ベルリン、ロッテルダムらが好まれる。今後もこの傾向は当分変わるまい。

今年は山田敬三が50年前に優勝した記念記念の年。ベノイトが25年前に優勝した記念とか、ボストン・マラソンでは世界のどのレースも真似ることができない"マラソン博物館"的な過去を尊び脈々とマイペースで生き続ける強み、魅力がある。

2003.4.22.return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index