【“Bus Stop”クラブの名コーチ】
“Bus Stop”クラブの名コーチ ダン・パフ

全米ベスト10に数えられる名門テキサス大学。ここに2つの陸上競技クラブが存在する。1つは伝統あるNCAAの強豪、テキサス大学の陸上部。そこには、かつてアメリカ五輪チームを率いたこともある学生陸上界の名伯楽、スタン・ハインツマンが活躍していた。もうひとつの陸上部は、ハインツマンの後任のダン・パフ(48歳)が指導する個人クラブ。そこにはパフ・コーチを頼って、個人レッスンを受けるために世界各地からたくさんのトップアスリートがやって来る。昨年、数年ぶりに復活した朝原も門下生の1人。大学職員として与えられた昼休み時間を“プロ選手”の指導に丸々費やす熱心なパフ・コーチに話を聞いた。


朝原とダン・パフ・コーチ
「私がここに来て7年目になります。現在、大学生の陸上部員は20人で、私を“コンサルタント”と呼ぶプロ選手が14人います。そもそもこのようなコーチを始めたのも、昔からいろんな選手が悩みを持って私のところにやって来たからです。そうこうしているうちに、年とともに選手の数が増えてきました。今季はべイリー、スリンらが現役から引退したため所帯が手ごろの大きさになったのは幸いです。一時は30人に膨れあがったこともあります。

若いころ棒高跳びで、4m10飛びましたが、当時、冬はフットボール、夏は野球など、いろんなスポーツを経験したが一流選手には成れなかった。選手が伸び悩んだり、自信喪失したりなにかの悩みを持ってくると断れません。できることなら相談に乗ってやりたいのですが、最近、その数が多いために断ることもします。そんな集まりですので、アスリートが出たり入ったり忙しいところから、うちの連中は“Bus Station”と呼んでいます。セビリアへここから19人、シドニーへは14人送り出しました。陸上競技界はタフで、世界の一握りのトップ選手だけがたくさんの収入がありますが、ここにくる多くの選手は食べてゆくのが精一杯。金もないので、コーチ料を取ることはできません。各国の協会から選手を預かったり、選手自身が頼ってくるケースもあります。わたしは“オリンピック・ソリダリテイ”で世界中を回ってコーチした関係で、特に、南米、中央アメリカ、カリビアの諸国と密接な関係があります。遠大の計画を持っているのではありません。なんらかのアドヴァイスが選手にとって効果があればそれでよいのです」

「わたしは陸上競技のなんの種目でもコーチします。正午から1時30分までが昼食のわたしの休み時間です。その時間帯を利用して、軽い昼食を取りながら、プロ選手のコーチです。おかしな時間帯と思う出でしょうが、わたしはテキサス大学専属コーチですから、通常の勤務時間を使ってプロ選手の面倒を見ることは許されません。そこでわたしのフリー時間に、大学の施設を利用してプロ選手を見るのは問題が起きないのです。今までに多くの背景を持つ選手を見てきましたが“ノブ”は最初の日本人ですね。あるきっかけで昨年から見てきたのですが、昨年の春は“ノブ"をコーチするのが怖かった。選手が新しい環境、コーチが変わりお互いに良く知らない。コーチが選手を潰しかねない危険性があえるからです。言葉の問題もありました。お互い意思の疎通がままにならないことは危険ですね。それでも3月の半ばから少しづつ、お互いに理解し始め、かれが日本、欧州転戦中は話すことより、PCを使ってすばらしいコミュニケーションが確立されました。当時のノブは話すことより書くことのほうが上手く表現できたのです。7月に入り始めたころ、“ノブ”の走りがよくなってきた。われわれが練習してきたことの成果が現れると、自然とかれのなかに自信が生れてきたのが手に取るように分かるし、走るに出てきた。かれが完璧の自信、満足できたのは、シーズンを故障なく終え好記録が残せたからです」

「今年の“ノブ”は昨年と違います。故障なしで冬季練習がきっちりと消化できています。かれの現時点の能力は、昨年7月半ばの仕上がりと同じでしょう。ですからこのまま故障しないでシーズンを迎えることができれば、本当にすばらしい走りができると期待しています。ノブが“サブ10”達成できる可能性は十分ありますが、あたりまえなことでは走れません。まず、わたしが繰り返し言っているのは、“たとえば10秒1、2でなんども走ることができても、10:00で走ることは分からない。10:00に近い記録でなんども走ることによって、初めて10秒を破る”プラットホーム"が確立できたといえます。そしてこんどは、サブ10で走る諸々の条件が重要なことです。それは完璧なフィーリング、天候、トラック、一緒に走る選手のレヴェル、競技会の質、完璧なスタート、エネルギーの配分、リラックスした走法、メカニズム、加速など、細かく言うとその日になにを食べたか、昨夜良く眠れたかなど、信じられないほどの多くのことが上手く噛み合って始めて達成できるのことなのです。ノブが10秒の壁がどういうものか頭、身体でしっかりした感触をつかみ理解できることが大切なのです。それには毎日程よい緊張、プレッシャーの中での練習で掴んでゆくことでしょう。ここで練習していれば、どこのレースに出場しようが、レースのレヴェル、緊張感、プレッシャーは変わらないのでしょう。ですからノブがサブ10で走る可能性は十分ありますが、故障を起こしてシーズンを棒に振るようなことがないように祈ります」

朝原と練習仲間のアバデレ・トンプソン

「ジュン(小坂田)のケースは、驚くほど走りこんできているため耐久力、スタミナは驚くほどあるが、44秒突破するには明らかにスピード不足です。ここではノブが通訳をしてくれていますが、言葉の障害でお互いに意思の疎通が難しいのも問題です。3週間の滞在とわれわれと一緒の練習期間も短いので分からないこともあるのですが、なんらかの刺激になれば幸いです」

小坂田
「現実には、日本で45秒台の選手が4〜5人はいますが、国立、横浜などの高速トラックで出した記録です。あそこで出した記録が自分の実力と勘違いする選手も出てくるでしょうが、それでは世界では通用しません。世界選手権前45秒台を連発したので、内心自信もあり決勝進出を狙いましたが、自分の考え方が甘かったのを自覚しました。ここにきたのは、記録より世界に通用する選手になることが目標です。これも朝原さんが一人で活躍の場を開拓、広げ、海外のコンタクトを作ってくれました。朝原さんの海外での活躍、今度うちに入社する為末の世界選手権の活躍に刺激され、ぼくも五輪、世界選手権決勝進出の目的を達成するためにがんばりたいと思います。これまでは日本代表になればよいとしていた程度のモチヴェーションでした。練習量なら、ここの選手より多いかももしれませんが、今までのやり方では44秒の壁を切ることは難しいと思いますし、限界と判断しました。一緒に走った実感ですが、ここの選手は速い。一見簡単そうに見え練習も、楽しそうですが非常にキツイ!!選手のレヴェルが違うのでいつも後ろを走っています。(笑う)こっちがスパイクを履いて、トンプソンはシューズで速いぐらいですから、気がまったく抜けません。密度が違います。スタートから徹底的に修正され、スパイクをブロックにフラットにつけ、それほど前に体重をかけずにするのですが、それでスタートすると今まで音がしなかったのですが、ブロックを蹴る音がし始めました。いろんなことで刺激され、新鮮に感じます。最も苦手のウエートトレーニングは、日本選手の中でも滅法弱いですから、ここでは女の選手にも負けています。(苦笑)練習始めの月曜日から、練習後の疲労は相当なもので、残りの週の練習が思いやられました。とにかく、スプリントのアイデアが違います。さらに上のレヴェルを目指すため、これからが正念上です。今年は欧州レースを転戦、世界のレース体験をする予定です」
(↑講談社・陸上競技社・月刊陸上競技誌2002年3月号掲載)
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