【徹底した科学と経験を取り込んだ基礎練習 】

異色のSpeed Consultantsのコーチ、レミ・カルチェムニー(71歳)は、半世紀の長いキャリアを誇る。

「とっくに引退したんだがね・・・」と笑いながら、柔和な笑顔で「引退ってなんだ い ?」と言う。「引退」の二文字はかれの頭に存在しないらしい。根っからの「指導 者」を自ら認める。3月の半ば、ヘルニア手術して退院、数日後にはシェボー・カ レッジの・スタジアムに姿を表していつものように変わらないコーチを始めた。

そもそも短距離王国のアメリカで、旧ソビエト出身コーチというのも不思議な気がす るが、ロシア史上最高のスプリンター、ヴァレリー・ボロゾフ(ミュンヘン五輪 100、200m優勝、4x100mリレーは2位。

旧ソ連史上最高のスプリンター) をコーチ、自らも100m10秒4の記録保持者だ。レミが5歳の時、父親をスターリンの 秘密警察に処刑された。母親がユダヤ人。74年、アメリカ出国ビザを獲得。NY大 学陸上コーチを皮切りに、スタンフォード大学、陸軍、アメリカナ陸連女子ハードル ・コーチを15年間歴任後、レミを慕ってくる短距離選手集団「Remi Track Center」 で個人指導を続けている。この集団は常時12人ぐらいのトップ選手が指導を受けてい るらしい。と言うのも、レミはクラブの選手数は不特定で定かではない。

為末はサン フランシスコにきたのが2月の始め、選手も出たり入ったりする。レミはケリー・ホ ワイト(25歳)を高校生から世界トップスプリンターに手塩にかけて育てた生え抜き の選手、非凡な素質の持ち主ドゥワイン・チャンバーズ(英国)2年間の伸び悩みを “レミ・マジック”療法で解消させ、昨年の欧州選手権優勝、GPファイナルで9秒8 6の好記録を樹立した手腕は世界で高く評価された。

レミの英語は、強い癖のあるロ シア訛り。聞き慣れても理解しにくいため、わかる選手が理解できない選手に伝える 風景もしばし見えた。が、そんなことはどこ吹く風!ガンとした態度で指導を続け る。レミのユニークなキャリアの持ち主に惹かれ、いつのまにか“スプリンター”ク ラブが構成されたと言えよう。

プロ選手とリクリエーション混合クラブ ここの女性スプリンター、ケリー、サヒーダ、シカゴからやってきたアンジェラらの 3人組は、とてつもなくおしゃべりで陽気だ。ヒューストから夫ダンとやってきた400 mhサンドラ・グローヴァーは物静かな人。この中に巨漢のNFLタイロンが加わって 練習する。ケリーとサヒーダらは、大声の会話が尽きることはない。

レミは時たま業 を煮やして「Let go!」と叱咤号令する。レミは「黙っていりゃア〜、うちの子達は まるでピクニックムードだよ」と苦笑するが、なんとなく微笑ましい。レミはヘルニ ヤ手術して4日後、医者から安静を奨められたが、コーチの「虫」が騒いで落ち着か ずスタジアムに出てきたという。腰が曲がらない。

ストップウオッチを片手に「Pick it up!! Pick it up!!」(スピードを上げろ!と言 う意味)と叫び、次にはビデオカメラで撮影、選手に見せながらフォームの修正を説 明する。なかなか忙しい。為末が400m走のプログラムに入った。最後の100mでス ピードを挙げる練習だ。レミは上がりが気に入らなかったのだろう。「遅い!!もう1 本走れ!」と下した。

「エーッ?!」と苦笑いしたが、すぐに為末はレミに食って掛 かるように「何秒で走れとは書いていない!」3人煩い女性郡が、レミと為末の口論を ニヤニヤして眺めている。レミは「最後の100mは11秒50で走らなければダメ!!」と 容赦なく命令を下す。為末は渋々レミの要求に従い再度400mを走った。今度は要求 どおりのスピードだった。サヒーダは「頭から湯気を出して、ダイがカンカンに怒っ た!!」と、吹きだしていた。

こんな選手とレミ・コーチの葛藤は暫しあるらしいが、 「リクリエーションのひとつさ!」と笑い飛ばす選手達。通常の練習は午前11時から 15時ごろまで、ほぼ中断されることなく、選手は手渡された練習メニューを消化す る。その後はウエイトトレーニング、またはマッサージを受けることもできる。ある 日、練習後自宅に招かれて話すことができた。 「わたしは機械工学のエンジニアだった。就職後4ヶ月でおもしろくないので退社。

選手兼コーチで陸軍スポーツアカディミーの陸上部コーチ職を始めたのが、そもそも コーチに携わってきた。基本的なコーチ概念は、世界で最も優れていた旧ソ連のス ポーツインスティチュートで習得した学問的な理論「フィジオロジー」「解剖理論」 を学んだ上に「実践」です。ヴァレリー・ボロゾフのケースでも、かれのジュニア時 代にコーチしたことがある。

優勝に50%ぐらいは貢献したが・・・彼を潰さなかった ことは確かなことだ。(クックッと笑い、それ以上は説明をしない。2階にあるひと つ部屋が、過去、現在の選手のデータ―が管理されている。その壁に旧ソ連、ウクラ イナ陸連から表彰されたメダルがたくさん飾ってある)

2年前、ロンドンに招待され スプリントの講義で実地を行った。その中に、ドゥワイン・チェンバーズが混じって いた。彼がどうやらわたしのコーチングに興味を示して、かれのアラン・マクファラ ン・コーチと一緒に話し合って、ここに2ヵ月半練習にやってきた。そのあとはわた しが作った練習スケジュールをイギリスで消化、かれのコーチが日常の練習を見るだ けでした。チェンバーズはスタートが不得手。かなり訂正したが、まだ改良の余地が たくさんある。GPファイナルを見たが、あの時のチェンバーズはフィニッシュで 100分のいくつかは損しているね。

スプリントは天性の才能が最も重要な要素です が、それも教え方ひとつでかなり変わるだろう。ダイの注文はストレートで明確だ。

『スピードをつけたい』。『アテネ五輪400mhで優勝したい』と言ってきた。彼の 身長でスピードを伸ばす限界はあるが、200m20秒50、400m45秒00で走る可能性は十 分ある。そこまでスピードがつけば、400mhはハードルが高くないので400mフラッ トレースにプラス2秒を足したタイムが予測される。決して不可能なタイムじゃあな い。ダイが優勝する可能性は十分あるといえるだろう。まだ、ここにきて間もない。 ハードルとスプリントではかなり違うことだ。これから彼がどのように成長してゆく か楽しみだね」と締め括った。

2003.4.5return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index