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【助走大改造、心境新たにシーズンを迎えたエドワーズ】 | ||
助走大改造、心境新たにシーズンを迎えたエドワーズ
95年、今もって理解できない大ブレーク エドワーズは牧師の家庭に育っただけに宗教的な影響は強い。93年まで、安息日に当たる日曜日には競技に絶対に出場しなかった。そのころは、競技者の才能より日曜日に跳ばないジャンパーとしての風変わりな名声があった。しかし、エドワーズは“神が三段跳びの才能を与えてくれた。その才能を最大限に伸ばす努力をしなければならない”と、別な解釈を説き、それ以後から日曜日の競技会に出るようになった。その後、記録が順調に伸びるようになってきた。95年、エドワーズに突然大ブレークが起きた。 「陸上競技のパーフォーマンス、記録達成と言うものは、基本的に沢山のいろんな要素からなっていると思う。これをひとつひとつ具体的に取り上げられるようなものではない。いろんな必要と思われる練習を取り入れて鍛えても、それが果たしてどれだけ成長に役立っているか、または逆な働き作用しているか、実際にはなかなかチェックしても掴み所ろがないものである。しかし、大きくブレークするときは、自分でも具体的に掴み所も分からずにも総ての要素が良い方に働き、作動、影響を与える時です。93年、スチュッガルトで開催された世界選手権で17.44mで3位になった。この辺から少し運が上向きになってきたのかな。それともそれまでの練習の成果が実を結んだのかもしれない。この年は追い風参考記録ながら17.70mを記録した。それでも94年シーズンは記録が伸びなかった。この年、例えば17.80mから90ぐらい跳んでいれば、95年に18mを越えてもあれほど、周囲もわたし自身も驚きもしなかっただろう。フランスの北部にあるリール市で開催された欧州カップ大会のことだった。一回目に満足できないステップだったが、驚いたことに17.90mが出た!2回目がスーと跳んで、一回目より少しはマシなリズムで、特別な感触はなかったが18.43m(追い風+2.4)!!3回目は悪くても17.72m跳んだ。続き、18.39m(追い風+3.7)も出た。もう少しでステップの着地点が砂場に入りそうだった!ホップ、ステップで12.50mを跳んでいましたからね!その年の夏、ヨテボリ世界選手権大会で18.29mの世界新記録を出したときも、こんな神懸りなビックジャンプの感触はなかった。わずか1年で17.50mぐらいの選手が18.50mのジャンパーに一挙に急成長した。現在思い出してもその背景が全く理解できない。一体なにがそうさせたか、異常な“大ブレーク”は今現在になっても信じることはできないし、説明が不可能なこと。冬季練習の1月に練習を始め、3月はダウン。ろくな準備は出来ず、試合1週間前は、まともなジャンプができることさえ危ぶまれた状態だった。あの年は競技会に出場するたびに、楽しく、自分自身が理解を越えたパワー、ジャンプ力、跳ぶたびに一人で身体が前に弾き出される。からだがパッと浮かび前方に跳んでしまうようだった。(イギリスのジャーナリストは、“カモメ”とニックネームをつけた)その年、サマランカ、スペインでウイリー・バンクスの世界記録を1cm破った。(そんな不可思議な説明ではなく、具体的な説明を求めると、笑いながら)本当に、コーチを変え、跳び方を変えたりしたが、そんなんことで急激に記録が伸びるものではありませんよ。技術、スピードが完璧だったという記憶はない。ただ、試合に出る度になにをしても記録が一人で出てしまうといった感じでしたね。いや全く、非科学的な話しで申しわけないがこれ本当です。ただ三段跳びという種目は、走り幅跳びとは大きく違い、文字通り跳び方が3部門に分けられている。そこに大きく記録が伸びる可能性が隠されている。完璧な3つのジャンプのコーデネーションが正確無比に行なわれると、大きな飛躍が出来たのだと思う。例えば、スピードを殺さない3回の跳躍をすること。と言うことは、最後の跳躍まで助走のスピードを凝らさないことが重要です。それは踏みきりから、ホップ、ステップの着地において腰の安定性を保ち、重点を落とさない。特に、ある選手は上に高く跳び過ぎ、叩きつける(パウンデイイング)ように着地を繰り返す。これでは着地のたびにスピードを殺し、最後のジャンプで失速状態では距離が伸びない。分かりやすく言うと、水面に平たい小石を投げて“水切り”遊びの要領が理想的でしょうね。わたしはジャンプで7mを越すことが出きるのも、スピードが最後までキープできるからです。この種目は非常にデリケートで、下手に跳ぶと醜いが、素晴らしいリズムで跳ぶと美しいスポーツだと思います」 18.43mの内訳は、ホップが6.50m、ステップが6.60m、ジャンプが6.33m。18.29mの場合は、6.05m、5.22m、7.02mと、大きく違う。この違いを指摘すると、エドワーズは、意識的にホップの入りを変えた結果ではなく、あくまで助走のスピードを生かした跳び方がその時の感じで無意識にでた結果だという。または、“不可解な力“人間の知識や論理では解明できない、まさに“水切り“三段跳び理論といえようか。三段跳びの撮影を正面からすると、興味ある事実が経験できる。多くの三段跳び選手の跳び方を撮影する時、カメラを上下に動かさなければフレームに収めることができないが、エドワーズにはほとんど必要がない。そして、力みない美しいステップの写真が撮れる。にも関わらず、優勝絶対といわれていたエドワーズはアトランタ五輪で2位。大試合の勝ち運に恵まれなかった。 「ハリソンは、アメリカ選考会でも好調だった。五輪ではあらかじめかれが強力なライヴァルになることを知っていた。わたくしのコンデイションは良かったが、助走に難点があった。1、2回と連続してファオルしたのが痛い。ハリソンは最初の跳躍で17.99mを飛んで精神的な優位に立ったのが、逆にわたくしは猛烈なプレッシャーになった。わたくしが17.88mを4回目に飛んでも、踏み切り板に乗れない。結局5、6回ともファオルだった。ハリソンは4回目に18.09mを飛んだ。あの日のハリソンのパーフォーマンスは、わたくしの状態ではとても勝ち目が無かった。あのころは勝つことに全力を尽くすばかりに、もうひとつそれを超えた競技への取り組み方が見えなかったこともあるだろうね。精神的に固かった。人はあそこで負けたからシドニーまで競技を続けただろうと言うが、あそこで勝ったとしても精神、肉体的に疲労、故障がなければ、練習、競技会に気持ち良く続けただろうね。五輪優勝、世界記録保持者、確かに競技者としてのモチヴェーションは薄れてきたが、今が最も長い競技キャリアの終盤を迎えて、信じられないでしょうが勝敗を超越した最高に競技をエンジョイしています。これからアテネまで続けて行くことも可能でしょう」 シドニー優勝の夜、金メダルと一緒に寝た 「三段跳びは“神から受けた才能、試練”でもある。アトランタで優勝できなかったこともシドニーで優勝できたことも、いずれも神がわたしに授けた“試練”であると思います。今考えるだけも気が滅入るほどのプレッシャーがあった。調子は良かったが、プレッシャーでガチガチ、インスピレーションあるジャンプ、競技会ではなかった。勝敗が先行する競技会と言うものはあんな形しかできないのだろう。優勝が決定した瞬間、内にあった緊張感が崩れるように消滅するのを感じた。言葉でとても言い尽くせない感情だった。表彰式で金メダルを受けた時、本物の感触を確かめるため手が痛くなるほど固く握り締めた。今ではとてもできないはことだが、あの夜は金メダルと一緒に寝たんです(笑い)あの時も助走が思うように流れなかった。ここ数年助走に問題があることは判っていた。アシックスにシューズスポンサー契約してから、わたくしはいつも助走距離をシューズで測って巻き尺で計ったことがない。実は後から気がついたのですが、前のシューズが1cmほど大きくアシックスのシューズを履いて計測すると約1m半ぐらい短くなる。どうしても最後の数歩のストライドが、ファオルしないように意識的に無理に短くなりリズムを崩す。“ピシャリ”と踏み切り版に合わない。当たり前のことで、素人だってこんな馬鹿げたことはしないでしょうから(笑い)。99年、セヴィリア世界選手権で負けてから、この問題が分かる始末(笑い)。とうとう98年前のリズムを全く失ってしまったと言うわけです。もちろん、シドニーでも助走は良くなかた。そこで今年は助走に大幅な改造を加えることで95、98年のリズム、フォームを取り戻したいと考えています。さらに新しいリズムを創る可能性を探しています。今までの助走距離は38m、今季からは48mに伸びました。助走のスタートにスキップを入れるので、実際にはちょっとした違った印象を与えるでしょうね。それが案外イイ感じきています。ミラノでは助走にそれほど自信がなかったにもかかわらず、最初の2回がファオルしたが17.53m跳んだし、ニュ−ンベルグの助走はさらに良い感じになってきた。まだファオルが多く、安定していないが世界選手権までには、ここ数年続いた助走の問題は解消できる自信があります。それさえマスターできれば、暑く、少しの追い風、高地1000m(?)のエドモントンで世界記録はどうか知らないが、18mを跳ぶことは現実的な記録でしょう」 限りなく神に近づくジャンプ 「毎週のように競技会で跳びたい。勝っても負けてもだが、遠くに跳びたい。あのリールで跳んだ感触をもう1度経験したい。ヘルシンキの雨の中、ニュルベルグの寒さなど、わたくしの歳では天候状態が悪いと跳ぶ気を失いますね。ミラノでは天候が良かった、最近の競技会出場は自分との戦いが続きます。競技会そのものの雰囲気は大好きです。緊張した選手の表情、お互いに誰とも言葉を交わさない。次ぎに何が起きるか予測ができない勝負。例えば、今年リスボンで開催された室内世界選手権で、誰も予想しなかったカモシが勝った。かれが勝って雰囲気が大きく変わった。勝つのは嬉しいが、室内でわたくしが勝っても負けても、キャリアに大差はない。しかし、かれが勝つことは非常に大きな意味があるのです。縁起の良い欧州カップ大会がブレーメンで行なわれる。どんな結果が出るか楽しみです」エドワーズは幾多の修羅場を潜りぬけてきた競技者である。神の啓示を受けたように、史上最長距離を記録した。エドワーズは水平に誰よりも遠くに跳ぶ才能を“神”の授かりものと言う。ふっと、鬼才のヴァレーダンサー、V.ニジンスキーを思い出した。かれは垂直に誰よりも高く跳ぶ稀有な才能を持っていた。その美しい跳躍は、限りなく天に近づきを試みていた。エドワーズは、水平の向こうになにを求めるのだろう。 |
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