【ドミニカ共和国の英雄、フェリックス・サンチス
今季400mh無敗、16連勝を続けるフェリックス・サンチス(25才、ドミニカ共和国)は、中央、南アメリカ男子選手としてGL初出場、史上初のグランプリ種目別優勝者だ。エドモントン世界選手権400mhでドミニカ共和国陸上競技史上初の優勝者。今年も自己記録を更新健在だ。寄寓にも、今年は史上初のラテンアメリカ選手アナ・ゲヴァラ(400m、メキシコ)も女子400mで無敗。賞金50kgの金塊ジャックポット、GP種目別優勝している。物静かな話しぶりで、短期間に世界の頂点に上り詰めた気負いもなくクールな男。ドミニカ共和国移民の両親でNY生まれ、アメリカ育ち。南カリフォルニア大学心理学学科卒、ロス在のドミニカ国籍。まだ一度もドミニカ国内レース経験がない。パリGPファイナル、マドリッド・ワールドカップで話す。 初の欧州遠征 は大成功、"ドゥリーム・シーズン"だった。

−ワールドカップの400mhを棄権した理由は?

サンチス−まず、足首が少し痛い。多分、パリで無理した2レースが応えたのかもしれない。また、1コースで非常に走りづらいし、為末に負けて(01年7月2日、ザグレブで2位)から目下16連勝しているのでこの連勝記録を続けるためにも棄権したのです。

−それで4x400mリレーに出場して(1走)優勝。今季400mhで無敗、好調の原因は?

サンチス−今季、連勝できたし、負ける気がしないのは、昨年の世界選手権優勝からくる自信でしょう。欧州GP出場は今年が最初ですが、大きな選手権大会がないので400mh GP種目別はもちろんですが、総合優勝を目標にしてきました。

−その目的は、ほぼ達成しましたね。 サンチス−GP総合優勝は、GPファイナルで400mhと400mの2種目制覇しなければ総合優勝がありえないので非常に難しいことは判っていた。GPファイナルでデイアガナが地元の声援をバックに前半から飛ばしたので、バックストレッチで強い向かい風で歩幅が崩れたにもかかわらず、引っ張られて予期した以上の47秒62で走れた。その一時間半後、400mで前半後半に備えて速く入らなかったのが失敗。しかし、ぼくにとって今季は400mhで自己最高記録47秒35、無敗、GP種目別優勝、ジャックポットなど「ドゥリーム・シーズン」で最高に充実していました。

−欧州GPの感想はどうですか?

サンチス−TVで見たことがありますが、実際こうして経験してみるとでは違います。欧州のGPは伝統ある大会で、アメリカでは味わえない雰囲気があります。世界のトップ選手が一堂に集まる一発レースですかレヴェルが高い。気が抜けないし、いろんな国を移動、時差調整など始めてのことですから非常に難しいわけです。また、始めて訪れるいろんな国の風景、町、食べ物など、いろんな経験をすることができました。

−アメリカを往復するのはキツイ?

サンチス−実際、かなりハードなスケジュールでしたから、家(ロスアンゼルス)に帰ると休養を取ることが最初、練習はそれからです。肉体的には非常にタフで長いシーズンですが、今季無敗で終えようと計画してきましたので、精神的には冴えていましたね。

−400mフラットレースに出場した理由は?

サンチス−これは練習の一環ですね。基本的にコーチからの薦めでシーズン2から3レースに出場する計画でした。ロンドンで400m、400mhの2種目優勝したが、やはり予想以上に疲れるもの。リカヴァーに3日間かかりました。今回の経験で、間違っても来年の世界選手権にフラットレースに本気で出場するなと言うことです。(笑う)

−どこの大会が印象的でしたか?

サンチス−チューリッヒ大会かな?と言うのも、前評判の高かったデイアガナが欧州選手権大会で優勝。絶好調だと聞いたから緊張しましたね。あそこで今季世界最高記録が出ました。あのレースには欧州選手権大会を好記録で優勝したデイアガナが出場した。かれは昨年の世界選手権を故障で棄権しているがかれの強さを知っています。ですから、セヴィリアの世界選手権優勝者と対戦ですから気合が入りました。パリのGLのときはかれの調子は今一つ良くなくて、ぼくが楽勝できたんです。それと、GL最後のベルリン大会でも、デイアガナが出場を決めてきたので嫌な予感がしましたね。あのレースはGLジャックポットの賞金が懸かっていた。が、かれは直前になって棄権したので助かった!(笑い)マリオン・ジョーンズ、アナ・ゲヴラ、イチャム・エルグルージュらとぼくの4人がGP無敗できた。この最後のレースにこの4人が勝てば、50kgの金塊を4人で分配するため誰もが必死でしたよ。(笑い)あのレースに勝てて本当に良かった。最後のレースで負けていたら賞金、連勝を同じに失う大きなショックですよ(笑い)ああいうレースは精神的に良くない。

−欧州で気に入った町は?

サンチス−初の欧州遠征で人が非常に親切なのは大変嬉しかった。パリは忙しいところであまり好きではないが、スイス、イタリアのほうが好きになれそうです。イタリアのピッツア、ラザーニが美味しかった。残念なのは、ドミニカ料理が遠征中食べれないことですね。パリはGLにきたときは雨で寒く、今回も雨が降って練習もそんなにできなかった。天候がついていなかったが、町は印象深いところですね。 まだハードリングは未完成、歴史を創りたい −いつから陸上競技に興味を持ち出したのか? サンチス−ぼくは子供のころ足が早い野球少年だった。ドミニカンなら誰でも一度はメイジャー選手になる夢を抱きます。ぼくも例外ではありません。陸上競技を始めた動機は15才の時、野球で右の腕首を骨折した。あるコーチが陸上競技、短距離をすすめてくれた影響です。野球に少しの未練もありましたが、陸上競技で良い結果が出るとおもしろくなってここまできたんです。

−昨年急激な成長した原因は?

サンチス−それまで二人のコーチの指導で練習してきたのですが、どうしても記録が伸びない。本格的に400mhをやりだした97年は50秒01、99年48秒60,00年、48秒33,01年、47秒49と伸びてきました。ハードルなどの技術的な問題ですね。5台目までは13歩で行くが、6台目からスピードが落ちて歩幅が乱れてくるのがぼくの弱点でした。前半のリズム、スピードが全く継続できないのです。学生のときはなんとかそれで走れたのですが、記録が伸びない。そこで世界選手権大会半年前、シドニー五輪後の冬からアヴォンダール・マインワーリング・コーチ、アメリカに住んでいるイギリス人に替えたのです。それが大きなブレークです。ここまで記録を伸ばしてきたのは、本当にコーチのお陰ですね。感謝しています。 −どのように変わったのか? サンチス−少なくとも7台目まで13歩で走るようになったことは、後半までスピード落ちずに継続できる。そして、残りを14歩で完走することで初めて48秒の壁を超えられる力がついてきました。この効果がでたのは新しいコーチについて約6ヶ月ぐらいでしょう。

−あなたは後半が強い。

サンチス−この競技の特徴かもしれませんが、ほとんどのライヴァルは後半にスピードが相当に落ちる。タメスエも前半に飛ばして行くタイプでしょう。デイガナ、モリ、アルソマイルらも同じような走りですが、ぼくは後半に抜かれた経験はなく、最後のハードルで互角なら絶対に勝てる自信がありますね。もうひとつは、今季どんな条件でもコンスタントにサブ48秒で走れたことでしょう。

−まだまだハードリングは未完成?

サンチス−ぼくのハードリングは、まだまだ問題がたくさんあると思います。コーチの考えは、近い将来9台目まで同じストライドを崩さずに走り切れる力をつけることです。

−それは世界新記録を狙ってですか?

サンチス−コーチはそれができれば世界記録を敗れる可能性があると考えています。もちろん、47秒の壁を破ることも並大抵のことではないでしょう。サブ47秒を走ったランナーは史上ただひとり。かれもたったの1回だけ!!それほど世界記録は抜きン出ている。ぼくはまだ若いので、大きな選手権がないような年に敗れるかどうかは別にして、可能性に向けて挑戦できるポジションにいると思うからです。世界記録より、なん連勝が可能か、勝つことのほうが重要だと思います。ぼくはまだ若いので、なんでもトライしてみたい。神のお加護があればエドォウイン・モーゼズのように、400mhの歴史を塗り替えたいのです。来期最大の目標は、地元初レースで優勝

−ところで、ドミニカ国内で陸上競技は盛んですか?

サンチス−ドミニカは野球が国技の国です。ぼくはドミニカ人の両親、ニューヨークで生まれ育っていますが、実は、国内でまだ一度もレースに出場していません。というのも、ドミニカでは野球が国技。野球がもっとも盛んなお国柄。陸上競技は非常にレヴェルが低い。ぼくは99年カナダのウインペッグ市で開催されたパン・アメリカ大会参加のとき、まだ学生でしたがドミニカ陸連に連絡して『だしてください!』と自分で売り込んで大会出場が実現したんです。国内では誰も知らない選手が、それも陸上競技400mhで4位だから驚いたらしい。

−世界選手権大会のドミニカ国内反応は?

サンチス−優勝しなければ帰国しなかったでしょうが、まさか、もみくちゃになるような歓迎が待っているとは夢にも思いませんでした。とにかく凄かった!最近、今までは見向きもされなかった陸上競技の放映も、まだそんなにサテライトTVは高額なので普及していないがぼくの出場するGPレースは国民の大部分の人達が見ているらしい。

−将来"サンチス効果"が期待できますか? サンチス−もちろんです。もともとドミニカの人達はスポーツ好きだが、スポーツと言えばたちまち野球しかイメージできない国民。陸上競技の伝統もなく、設備は乏しいが、ぼくが努力しで世界で活躍する模範を見せることによって、子供に夢、希望を与えることが出きると思う。それと同じにドミニカ共和国のスポーツの歴史を作りたいのです。

−来年パン・アメリカ選手権がドミニカで開催されますね。国内の期待が大きいでしょう。

サンチス−多分、国内は異常な期待で盛り上がるでしょう。来季のぼくの最大目標は地元で開催されるパン・アメリカ大会で優勝すること。これは世界選手権2連勝より重要なことです。

−パン・アメリカ大会400mh決勝の時間は、道から人が消える? サンチス−多分、そんな状況になるでしょうね。(笑う) −パリで国旗を持ってフィールド内に入ってきた人達は誰ですか?

サンチス−あの人達はドミニカからきた人達。

−オフシーズンはどこで過ごす予定ですか?

サンチス−ぼくは大人しい性格。普通なら家でTVを見たり、メレンゲを聞いたり、余暇をゆっくりした時間を過ごすことが好きです。でも、ゴロット寝る時間が長く、食べ過ぎ太ってしまうのが問題です。アメリカに帰ってから、サンデイエゴに住んでいる母親と2人の兄弟と時間を過ごしてから、多分、ハヴァナに飛んで友達のペドロサ、ソトマイヤーのところに遊びに行く予定です。その後、ドミニカに飛び父親に逢い、滅多に帰らないので父親の親戚を尋ねる予定です。

−心理学を専攻したそうですが、スポーツ心理ですか? サンチス−違います。ぼくのスポーツ・キャリアが終えてから、できたら"子供クリニック"を開設して、アメリカだけではなくドミニカでも、社会の中で子供達がいろんな問題に直面する問題にいろんな形でアドヴァイスを考えています。

−あなたにとって、陸上競技はなに意味しますか?

サンチス−自分の大好きな陸上競技をしながら、つい最近まで考えも及ばなかった国から招待を受け、高級なホテルに泊まり、いろんなところで素晴らしい待遇を受けることができますね。見聞を広め、いろんな国の伝統、文化に接することもできます。そして、収入を得ながら競技できる。非常に素晴らしいことです。前にも言ったように、ぼくはまだ若い。毎年なんらかの大会があります。そのためにステップ・バイ・ステップ、努力することによって、自分の可能性に向かって進歩を遂げたいと思います。パン・アメリカ大会、世界選手権、そしてアテネ五輪優勝に向けて、最大の努力をすることによって、また別の広い世界が広がってくるのが楽しみです

 

2002.10.5.return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index