![]() |
||||||
【38km辺でギア―シフトを試みたが・・・左ふくらはぎが吊ってきた】 |
||||||
ハイレ・ゲブレセラシエは、レース後のインタビューで開口一番「今日のレースで自己新記録を42分ほど短縮したので喜んでいます。(会場は大爆笑)(注:ハイレは1989年15才の時、エチオピアの首都アジスアベバ東南約250kmの高地3000mアルシ地方アセラ村から、高いビルを見たくて首都の兄の元に出てきた折、マラソンにいきなり出場2時間48分、99位になっている)天気に恵まれて理想的な素晴らしいレースだった。
ハイレは「エチオピアはマラソン以外は、ハーフマラソン、10000mでもスプリント程度の観念しかないし、伝統的に大したことをしているとはなかなか認めてくれない。アベベ・ビキラ以来、マラソンで何回も勝たなければ偉大な長距離ランナーとは認めない国柄です」と言う。 ハイレが今春マラソンを走る計画は、すでにシドニー五輪後からだった。昨年春にかかとをスイスで手術、トラックに復帰したのはエドモントン世界選手権前だった。その後、ロンドン・マラソン出場が決定してから、世界中でハイレのマラソン転向が論議された。 ハイレのトラックの強さを目の当たりにしても、クロカンで無冠だ。昨年世界ハーフ選手権で優勝したが、トラックとマラソンの違いをまことしやかに論議された。「つま先でポンポン飛ぶようなランニングスタイル」では、とてもマラソンには向かない。転向説に否定的な見方をする人が多かった。しかし、シドニー五輪直後、ハイレは自信を持って「現世界記録は遅い」とわたしに言ったのを覚えている。 長距離ランナーとして残された究極的な「アンビション」はなにか?と聞いたこともある。するとハイレはにこりとして即座に「五輪、世界タイトルは獲得した今は『史上最高の長距離ランナー』のタイトルが引退前に欲しい」と言った。1500mからマラソンまで、ヌルミ、ザトペック、ビキラらが成し得なかった業績「前人未到」の目に見えないゴールを目指す。
ハイレの出場料金は推定で35万ドル、史上最高額で決定した。ハイレはジファー、トラ、ウオルクらの練習パートナーらを従えロンドン入りした。かれらと一緒に4ヶ月の猛練習に耐えてきたのも「史上最強ランナー」を描いたと考えられる。世界最高記録保持者ハヌーチ、タガート、ピント、エルムアジズ、ジファー、バルデイニ、トラらが一同に集結するレースに実証を賭けたのだろう。そんな気がなんとなくする。 レース4日前、ロンドン入りしたハイレの単独記者会見は、集まった記者の数も多かったが前代未聞の5時間に渡った。ハイレ応援軍団もエチオピアから一緒に飛び、英国滞在エチオピア人応援団と合同した。 その記者会見でハイレは「マラソンはぼくにとって未知の世界だ。残り数kmになると、脚が動かなくなると聞いている。ぼくもそんな状態になるだろうか」と言った。 レースの終盤、さすがの「小さな巨人」の足も優勝も38km地点で止まった。レース後、ハイレはジョークを交えて「今日のレースが失敗とは思わない。良い経験をした。思った以上にレース後の疲労が少なかった。次回は35kmからの走りを考えてくる。世界記録を破る自信がある。
ハイレの今後の課題は、35km以後をどのように走るか持久力の練習がカギになる。今回35〜40kmの5kmのタイムが それまでより1分遅い15分53秒掛かっている。天候に恵まれ、調子さえよければハイレは世界最高記録を近いうちに書き換えるだろう。ハイレのポテンシャルは、少なくとも4分台の前半で走る力を持っている」と結んだ。 |
||||||