【世界選手権マラソンコースは、パリ名所旧跡ご案内観光】

フランスシラク大統領は国連で拒否権発揮すると脅し、最後までアメリカに対イラク開戦を大反対した。対イラク戦争勃発後、世界一の観光客が訪れるパリも、今年の夏はアメリカ人観光客が激変するだろうと言われている。そのためではないだろうが、パリ世界選手権マラソンコースは、徹底的に市内名所旧跡が案内観光コースを走ることになった。

要するに、どこの国も同じアイデアでこのときばかりと観光PRミエミエ、TV映りが誠によろしい。最初のコース叩き台は、フランス陸連のテクニカルディレクター、アラン・スピラが作成した。数本のオプションコースをパリ警察に計画書を提出。最終的に交通、警備などを考量した結果、決定した。

8月末のパリは、ヴァカンスが終わりに近付いたころ。過去10年の8月末午後3時平均値の気温は23〜24度、湿度40〜54%とデータ―が出ている。が、パリの天気は急変するから当てにできない。

パリ市庁舎前がスタート。市内を東西に走り、北へコースを取ってメイン会場スタド・ドゥ・フランスでゴールする。注意する点は、コースはおおむね平坦だがハーフ手前と後半に起伏がある。

ただし、ランナーの最大の難関は、頻繁に路面が石畳からアスファルトなどに変わる。コースが選手、記録のために設定されたものではなく、パリ観光にスポットが当たる趣向なコースなので、鋭角の曲がりなど、疲労した脚にくる負担、転倒などに、細心の注意が必要で気が抜けまい。シューズも路面に合わすことも大切だろう。 

フランス・ルネッサンス様式の市庁舎正面からスタート。60mぐらいで左折、右手の公園に中世のタワーが見える。すぐまた左折すると、セーヌ川の大通りに出て東に向かう。1kmぐらいで左折、バスティーユ広場に出る。パリ革命が最初に起きたと言われる、元バスチュ―ユ監獄のあった広場に52mの高い銅製の革命記念塔が見える。

広場を回らず、すぐに左折してリボリ通りに入り西に2km向いオペラ通りに入る。ここで5km地点通過。オペラ座の手前で右折、また、東に向かう。繁華街の大通り、装飾品、洋服問屋地区を通る。2度ほど急なカーブを曲がる地点があるので要注意だ。

チュレン通りからボーマルシェ大通りに出て、北のリュプブリック広場に向かう。ここで約12km地点か。

ここからまた西にオペラ座に戻り、高級品店が建ち並ぶヴァンドーム広場を通過、コンコルド広場を過ぎるとシャンゼリゼ大通に出る。そこから坂の上に凱旋門まで延長約2km。15km地点を過ぎてから凱旋門までの3km弱で25m登る最初の難所

ここは石畳の路面だ。凱旋門の西側のフォッシュ大通りを下り左折、ブローニュの森を右手に見ながら今度は左折。シャイヨー宮殿まで少し登る。ここで約ハーフを通過する。宮殿の左側をぐるりと回り、急な石畳の道をセーヌ川に向かって下る。

坂を降りると、目の前にエッフェル塔がそびえる。橋を渡り、左折、右折して公園の脇の道を走る。ここからアンヴァリッドまで目の前が開ける。セーヌ川に向かって走り右折、ブルボン宮を右手に見て、すぐにセーヌ川左岸のファッショナブルなサンジャルマン大通に入る。

25km地点を通過。ソルボンヌ大学を始め、美術学校、数々のギャラリーなど、文京地区カルチェ・ラタンを通過する。シテ島の先のヌフ橋を通り、また、バスティーユ広場から30km地点通過。ボーマルシェ大通りをリピュブリック広場に向かう。フィロバの中央から右折、サンマルタン運河沿いに北に向かう。スターリングラード広場を通過後、左折すると35km地点を通過する。

環状高速道路を越えて真直ぐ北上。高速道路沿いを走り、36kmからやや上り坂になり、円形のスタド・ド・フランス競技場あたりで下り坂になる。ここら辺は38km地点。

この坂の前後が勝負どころになるか?競技場を通過、さらにこの競技場の所在地の市内をぐるりと周回して競技場に戻ってくる。

代々の王家の墓を祀ってある大聖堂を通過する。ここにも石畳があるので、疲労した脚に注意すること! 町を出ると目の前の運河を越えて、競技場の手前で左折、迂回するとマラソンゲートが第2コーナーに見える。

コースが古い町中を走るため、少しでも距離を置かれると前の走者が眼で捕らえにくい。路面も交通量の比較的に多い道路のため、見た目以上に凸凹が多いのは要注意だろう。できれば、コースの下見が必要であろう。

2003年4.4return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index