第8回室内世界選手権から


世界室内選手権(リスボン)。ガーナ選手
世界室内陸上選手権大会は、2年に一度世界各地で開催される。2年前は群馬県の前橋、今年はポルトガルの首都 リスボン。伝統的に室内陸上競技は、アメリカ、欧州が盛んだ。
そもそも世界室内選手権大会は、85年に始まった第1回から、トップ選手から敬遠されがちだ。この時期、暖か い土地で屋外シーズンに向けての合宿練習に入るケースが多い。近年、国際大会が増えシーズンが長い。室内競技 会に全く興味を示さない選手もいる。棒高、走り高跳びのようなフィールド種目は、気象条件から左右されない有 利な点もある。しかし、物理的に、ある短距離選手には60mは短く、不完全燃焼のままフィニッシュラインを切っ てしまう。200mは急なカーヴで走り難い。優勝賞金4万ドルで選手を釣ろうとしても、中距離選手は、大きな ストライドでカーブを曲がれないなど、レースを嫌われる原因が多い。今回はグリーン、ジョーンズらの短距離ス ター選手が不在。とはいえ、毎回ドラマテイックなシーンを目撃してきた。今回の圧巻は、男子1500m決勝。地 元のルイ・シルヴァが、五輪優勝者ゲニを破る大殊勲を上げた。根強い陸上ファンが、熱気溢れる雰囲気を盛り上 げた。日本選手も付き合い程度に、男子60mレースに、朝原宣治(大阪ガス)、川畑伸吾(法大)、400mに小坂田淳(大阪ガス)、女子60mハードルの金沢イボンヌ(佐田建設)の4選手が参加した。朝原、川畑は予選通 過したが、準決勝通過ならず。小坂田、金沢は予選落ち。

前橋大会、主催者側の大会を盛り上げる並々ならぬ努力があった。各国陸連に参加を呼びかけ、トップ選手招聘に 躍起になった。しかし、リスボンは用がなく、現金なもので選手派遣は最低限で済ました。前橋の外は『空 っ風』が吹き、観客席はガラガラで寒々としていた。ある日、こともあろうに男子3000m決勝レース直 前、青木陸連会長の記者会見を設定した。日本人記者席は空、ゲブレセラシエのレースを見逃した。日本の主催者 は、取材者に取材便宜を図る心構えが根本的に欠けている。むしろ、取材規制をすることが担当者の重要な仕事ぐ らいに思っているアホな人もいる。通常、多くの国際大会の初日には問題が出るが、その都度、五輪でさえも現場 の取材要求に応えて徹夜で解決しようと努力する。前橋では取材者側の要求を、一度決めたことの一点張りで頑と して拒否した。これと同じ状況を広島アジア大会で経験した。お蔭で全種目撮影は不可能だった。リスボンは、I AAF主催大会に撮影の便宜を図る担当者を置いた。ぼくの知人のバルセロナ在、エル・パイス紙スタッフが、要 求に応じて洩れなく撮影できる便宜を完璧に図ってくれた。それが担当者、取材許可を出した義務と言うものだろ う。日本で国際大会を開催できるハードは持ち合わせても、ソフトだけはどうにも頼りにならない。
2001.3.20.return to home 】【 return to index 】【 return to athletics-index